・・・ただ、漂浪の晩年をロンドンの孤客となって送っている、迫害と圧迫とを絶えずこうむったあのクロポトキンが温かき心をもってせよと教える心もちを思うと我知らず胸が迫ってきた。そうだ温かき心をもってするのは私たちの務めだ。 私たちはあくまで態度を・・・ 芥川竜之介 「日光小品」
・・・同じく、文化を名目とはするものゝ、珍らしい、特志の出版家でもないかぎり、出版は、資本主義機構上の企業であり、商業であり、商品であり、また今日の如く、大衆を顧客とするには、著者の趣味如何にかゝわらず、粗製濫造も仕方のないことになるのです。・・・ 小川未明 「書を愛して書を持たず」
・・・と小声で吟じ、さて、何の面白い事もなく、わが故土にいながらも天涯の孤客の如く、心は渺として空しく河上を徘徊するという間の抜けた有様であった。「いつまでもこのような惨めな暮しを続けていては、わが立派な祖先に対しても申しわけが無い。乃公もそ・・・ 太宰治 「竹青」
・・・後で知ったのだが、その割烹店は、県知事はじめ地方名士をのみ顧客としている土地一流の店の由。なるほど玄関も、ものものしく、庭園には大きい滝があった。玄関からまっすぐに長い廊下が通じていて、廊下の板は、お寺の床板みたいに黒く冷え冷えと光って、そ・・・ 太宰治 「デカダン抗議」
・・・浮世絵の相場が西洋人の顧客によって制定されると一般である。また日本人の独創的な科学的研究でも、西洋人が一度きわめをつけないと、学位さえもらえないことがあるのとも一般である。 モンタージュはすなわちモンテーであり、マウンティングであり、日・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ 一つには、小説と映画では相手にする大衆の素質、顧客の層序において若干の異同のあることも事実であろう。しかしそれよりも大切なことは、映画の写し出す視覚的影像の喚起する実感の強度が、文字の描き出す心像のそれに比較して著しく強いという事実が・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・しかしまた一面においては常設館の常顧客であるところの大衆の期待に応ずるような手ごろの材料をかなりに盛りだくさんにあんばいすることに骨を折ったようである。たとえばド・ヴァレーズ伯爵がけしからぬ犯行の現場から下着のままで街頭に飛び出し、おりから・・・ 寺田寅彦 「音楽的映画としての「ラヴ・ミ・トゥナイト」」
・・・ それはとにかく、実に幸いなことには事件の発生時刻が朝の開場間ぎわであったために、入場顧客が少なかったからこそ、まだあれだけの災害ですんだのであるが、あれがもしや昼食時前後の混雑の場合でもあったとしたら、おそらく死傷の数は十数倍では足り・・・ 寺田寅彦 「火事教育」
・・・このへんを歩いている人たちの大部分は、西洋人でも日本人でも、男でも女でも、みんなたった今そこで生命の泉を飲んできたような明るい活気のある顔をしている中で、この老婦人だけがあたかも黄泉の国からの孤客のように見えるのであった。「どうかするんじゃ・・・ 寺田寅彦 「軽井沢」
・・・少しはしたないような気はしたが、天涯の孤客だからと自分で自分に申し訳を云った。このローマの宿の一顆の柿の郷土的味覚はいまだに忘れ難いものの一つである。 味覚の追憶などはあまり品の好い話ではないようである。しかしそれだけに原始的本能的に深・・・ 寺田寅彦 「郷土的味覚」
出典:青空文庫