・・・こういう本格的な研究仕事を手伝わされたことがどんなに仕合せであったかということを、本当に十分に估価し玩味するためにはその後の三十年の体験が必要であったのである。 たしか三年の冬休みに修善寺へ行ってレーリーの『音響』を読んだ。湯に入り過ぎ・・・ 寺田寅彦 「科学に志す人へ」
・・・なぜこれほどおもしろいのかよくわからないがただどちらもあらゆる創作の中で最も作為の跡の少ないものであって、こだわりのない叙述の奥に隠れた純真なものがあらゆる批判や估価を超越して直接に人を動かすのではないかと思う。そしてそれは死生の境に出入す・・・ 寺田寅彦 「備忘録」
・・・立って見える日本固有の詩形の中でも特に俳諧連句という独自なものの存在する事をこれらの毛唐人どもが知っていたかどうか、たとえそういう詩形の存在を概念的に知っていたとしてもほんとうにその内容を理解し正当に估価し得たであろうという事はほとんど不可・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・農家らしい古家では今でも生垣をめぐらした平地に、小松菜や葱をつくっている。また方形の広い池を穿っているのは養魚を業としているものであろう。 突然、行手にこんもりした樹木と神社の屋根が見えた。その日深川の町からここに至るまで、散歩の途上に・・・ 永井荷風 「元八まん」
・・・この古家の静かな壁の中から、己れ自身の生涯が浄められて流れ出るような心持がする。譬えば母とか恋人とかいうようないなくなってから年を経たものがまた帰って来たように、己の心の中に暖いような敬虔なような考が浮んで、己を少年の海に投げ入れる。子供の・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・歴史一般が、今日は重く顧みられているが、それは過去の炬火として今日へ光りをそそぐべきものとして扱われていて、今日の現実の光が過去の現実を明晰にして明日の糧とするという意嚮に立つ面は弱いと思われる。いくつかの文学作品の題材は、過去に求められて・・・ 宮本百合子 「鴎外・芥川・菊池の歴史小説」
・・・一八八三年三月十四日――イエニーの死後三年目の早春に、人類の炬火のかかげ手カール・マルクスはメートランド・パークの家の書斎の肘掛椅子にかけて、六十五年の豊富極まりない一生を閉じた。〔一九四七年一月〕・・・ 宮本百合子 「カール・マルクスとその夫人」
・・・ 先生は、ハドソン川から紐育へ入る途中の――島に炬火を捧げて虚空に立って居る自由の女神像を御存じでございます。 又、コロンビアの大図書館の石階を登りつめた中央に、端然と坐して、数千の学徒を観下す、Alma Mater をも御存じでご・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・其故、この古家の古本に再び日の目を見せる気になった私の心持の底には、謂わば私心を脱した書籍愛好者魂とでも云うべきものが働いていなかったとは云えない。 慶応三年新彫、江戸開成所教授神田孝平訳の経済小学、明治元年版の山陽詩註、明治二十二年出・・・ 宮本百合子 「蠹魚」
・・・ はだかろーそくのような形で又炬火の小さいようなものである。美くしい、ヒラヒラ、ヒラヒラともえて行く。 小林区の御役人が来るので、待って居ると、それが見える。 架空索道箇人的のものをとりあつかって、とめ置きも・・・ 宮本百合子 「「禰宜様宮田」創作メモ」
出典:青空文庫