・・・ 思えば、気の小さい、そんな男のことなどをあばいた本など、たいして売れもしなかっただろうと、おれは思っていたが案に違って、誇張めいた言い方をすると、瞬く間に版を重ねて、十六版も出たという。お前は知るまいが、初版は千五百部で以後五百部ずつ・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・ その男は誇張していえば「大阪で一番汚ない男」といえるかも知れない。髪の毛はむろん油気がなく、櫛を入れた形跡もない。乱れ放題、汚れ放題、伸び放題に任せているらしく、耳がかくれるくらいぼうぼうとしている。よれよれの着物の襟を胸まではだけて・・・ 織田作之助 「四月馬鹿」
・・・といって自分のあの作が、それだけの感動に値いするものだとはけっして考えはしないのだが、第一にあの作には非常な誇張がある、けっして事実のものの記録ではないのだが、それがこの青年囚徒氏に単純な記録として読まれて、作品としての価値以上の一種の感激・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
・・・これに限らず、すべての点で彼が非常に卓越した人間であるということを、気が弱くてついおべっかを言う癖のある私は、酒でも飲むとつい誇張してしまって、あとでは顔を赤くするようなことがあるので、淋しくても我慢してひとりで飲む気になるのである。「・・・ 葛西善蔵 「遊動円木」
・・・山のおおかたを被っている杉林はむしろ日陰を誇張していた。蔭になった溪に死のような静寂を与えていた。「まあ柿がずいぶん赤いのね」若い母が言った。「あの遠くの柿の木を御覧なさい。まるで柿の色をした花が咲いているようでしょう」私が言った。・・・ 梶井基次郎 「闇の書」
・・・昔の武蔵野は実地見てどんなに美であったことやら、それは想像にも及ばんほどであったに相違あるまいが、自分が今見る武蔵野の美しさはかかる誇張的の断案を下さしむるほどに自分を動かしているのである。自分は武蔵野の美といった、美といわんよりむしろ詩趣・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・く高く、林の奥は日の光届きかねたれど、木の間木の間よりもるる光はさまざまの花を染め出だし、涼しき風の枝より枝にわたるごとに青き光と黒き影は幾千万となき珠玉の入り乱れたらんごとく、岸に近き桜よりは幾千の胡蝶一時に梢を放れ、高く飛び、低く舞う。・・・ 国木田独歩 「わかれ」
・・・思慕と憧憬との精神的側面があり、誇張していえば、跪きたくなる感情がある。そして対象は単一的であって並列的ではない。美的狩猟はならべ描くことによって情緒をますのだ。 結婚前の青年、特に学窓にある青年にとって、恋愛とはまず精神的思慕であり、・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・不品行を誇張された。三等症のように見下げられた。ポケットから二三枚の二ツに折った葉書と共に、写真を引っぱり出した時、伍長は、「この写真を何と云って呉れたい?」とへへら笑うように云った。「何も云いやしません。」「こいつにでもなか/・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・「どいつも、こいつも、病気を誇張してやがるぞ!」軍医は考えた。 栗本も同様に、憐れみを乞い求める眼と、弱々しげな恰好をして、軍医の前へやって行った。彼は、シベリアに残されるのだったら軍医の前にへたばろうと考えた位いだ。「どうだな・・・ 黒島伝治 「氷河」
出典:青空文庫