・・・はと申しますと、これはどうも実際社会に現存して居る人物の悪者を極端まで誇張して書いたような形跡があります。まさかに馬琴の書きましたほどの悪人が、その当時に存して居ったとは思えませぬが、さればとてそれは全く馬琴の空想ばかりで捏造したものではあ・・・ 幸田露伴 「馬琴の小説とその当時の実社会」
・・・『夢想兵衛胡蝶物語』などは、その主人公こそは当時の人ですが、これはまたその描いてある世界がすべて非現実世界ですから、やはり直接には当時の実社会と交渉がきれて居りますのです。 それで馬琴のその「過去と名のついたレース」を通して読者に種々の・・・ 幸田露伴 「馬琴の小説とその当時の実社会」
・・・ これらの中、キリシタンの法は、少しは奇異を見せたものかも知らぬが、今からいえば理解の及ばぬことに対する怖畏よりの誇張であったろう。識神を使ったというのは阿倍晴明きりの談になっている。口寄せ、梓神子は古い我邦の神おろしの術が仏教の輪廻説・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・ 龍介は誇張なしにそう思って、泣いた。龍介は女を失ったということより、今はその侮辱に堪えられなかった。心から泣けた。――何回も何回もお預けをしておいてしまいにあかんべい、だ! 龍介はこの事以来自分に疲れてきた。すべて自信がもてない。ものをハ・・・ 小林多喜二 「雪の夜」
・・・蜂鳥や、蜂や、胡蝶が翅をあげて歌いながら、綾のような大きな金色の雲となって二人の前を走って歩きました。おかあさんは歩みも軽く海岸の方に進んで行きました。 川の中には白い帆艇が帆をいっぱいに張って、埠頭を目がけて走って来ましたが、舵の座に・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:有島武郎 「真夏の夢」
・・・全身の血が逆流したといっても誇張でない。あれだ! あの一件だ。「身のたけ一丈、頭の幅は三尺、――」木戸番は叫びつづける。私の血はさらに逆流し荒れ狂う。あれだ! たしかに、あれだ。伯耆国淀江村。まちがいない。この絵看板の沼は、あの「いかぬ・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・私は、その大家族の一人一人に就いて多少の誇張をさえまぜて、その偉さ、美しさ、誠実、恭倹を、聞き手があくびを殺して浮べた涙を感激のそれと思いちがいしながらも飽くことなくそれからそれと語りつづけるに違いない。けれども、聞き手はついにたまりかねて・・・ 太宰治 「花燭」
・・・華やかな明るい楽の音につれて胡蝶のような人の群が動いている。 焔が暗くなる。 木深い庭園の噴水の側に薔薇の咲き乱れたパアゴラがある。その蔭に男女の姿が見える。どこかで夜の鶯の声が聞える。 石炭がはじけて凄まじい爆音が聞えると、黒・・・ 寺田寅彦 「ある幻想曲の序」
・・・そうしてそれがそれほど誇張されない身ぶりの運動のモンタージュによって、あらゆる悲痛の腹芸を演ずるからおもしろいのである。 松王丸の妻もよくできていた。源蔵の妻よりもどこか品格がよくて、そうして実にまた、いかなる役者の女形がほんとうの女よ・・・ 寺田寅彦 「生ける人形」
・・・ 現在の発明家のねらっている立体映画はいずれもステレオスコピックな効果によるものであるが、誇張されたステレオ効果はかえって非常に非現実的な感じを与えるということは、おもちゃの双眼実体鏡で風景写真をのぞいたり、測遠器で実景を見たりする場合・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
出典:青空文庫