・・・新様の歌も詠み、慷慨激烈の歌も詠み、和暢平遠の歌も詠み、家屋の内をも歌に詠み、広野の外をも歌に詠み、高山彦九郎をも詠み、御魚屋八兵衛をも詠み、侠家の雪も詠み、妓院の雪も詠み、蟻も詠み、虱も詠み、書中の胡蝶も詠み、窓外の鬼神も詠み、饅頭も詠み・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・秋風に吹きなやまされて力なく水にすれつあがりつ胡蝶のひらひらと舞い出でたる箱根のいただきとも知らずてやいと心づよし。遥かの空に白雲とのみ見つるが上に兀然として現われ出でたる富士ここからもなお三千仞はあるべしと思うに更にその影を幾許の深さに沈・・・ 正岡子規 「旅の旅の旅」
・・・ 蕪村の句の絵画的なるものは枚挙すべきにあらねど、十余句を挙ぐれば木瓜の陰に顔たくひすむ雉かな釣鐘にとまりて眠る胡蝶かなやぶ入や鉄漿もらひ来る傘の下小原女の五人揃ふて袷かな照射してさゝやく近江八幡かな葉うら/・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・溝口氏も、最後を見終った観客が、ただアハハハとおふみの歪め誇張した万歳の顔を笑って「うまいもんだ!」と感歎しただけでは満足しないだけの感覚をもった人であろう。 溝口というひとはこれからも、この作品のような持味をその特色の一つとしてゆく製・・・ 宮本百合子 「「愛怨峡」における映画的表現の問題」
・・・詩人らしいということは、線が細いと同義語のようにつかわれ、いくらか鋭い感受性といささかの主観のつよさと、早期の枯凋とを意味するとしたら、それは人間としてくちおしいことだと思う。 習俗のつよい圧力は、女が詩をつくる心をもって生れたという一・・・ 宮本百合子 「『静かなる愛』と『諸国の天女』」
・・・ 静かにふして淡く打ち笑む白々と小石のみなる河床に 菜の花咲きて春の日の舞ふ水車桜の小枝たわめつゝ ゆるくまはれり小春日の村白壁の山家に桃の影浮きて 胡蝶は舞はでそよ風の吹くなつかし・・・ 宮本百合子 「旅へ出て」
・・・ 胡蝶の翅を飾る、あの美くしい粉ばかりを綴ったように、日の光りぐあいでどんな色にでも見える衣を被って、渦巻く髪に真赤なてんとう虫を止らせている乙女は、やがてユーラスの見たこともないライアをとりあげました。 そして、七匹の青蜘蛛が張り・・・ 宮本百合子 「地は饒なり」
・・・ぶり哥のよみぶりを批評しながらなごりおしげに桜の梢をふりかえりふりかえり女達は沢山かたまって薬玉のようになって細殿の暗い方に消えて行く、一番しんがりの一群の男のささきげんでつみもなく美くしい直衣の袖を胡蝶のように舞の引く手、さす手もあやしげ・・・ 宮本百合子 「錦木」
・・・机のところにまたもどって、あの人がもってきて呉れた狸ばやしと胡蝶の曲を読み始める。この本とひっかえにもってった三味線掘りの手ざわりのいい表装がフイに見たくなったがマアマアとあきらめる。こんな退屈などうにもこうにもしようのない様な日に、あの人・・・ 宮本百合子 「芽生」
・・・スチルネルが鋭い論理で、独創の議論をしたのとは違って、大抵前人の言った説を誇張したに過ぎない。有名な、占有は盗みだという語なんぞも、プルウドンが生れるより二十年も前に、Brissot が云っている。プルウドンという人は先ず弁論家というべきだ・・・ 森鴎外 「食堂」
出典:青空文庫