・・・可哀相でね、お金子を遣って旅籠屋を世話するとね、逗留をして帰らないから、旦那は不断女にかけると狂人のような嫉妬やきだし、相場師と云うのが博徒でね、命知らずの破落戸の子分は多し、知れると面倒だから、次の宿まで、おいでなさいって因果を含めて、…・・・ 泉鏡花 「第二菎蒻本」
・・・当時の文章教育というのは古文の摸倣であって、山陽が項羽本紀を数百遍反覆して一章一句を尽く暗記したというような教訓が根深く頭に染込んでいて、この根深い因襲を根本から剿絶する事が容易でなかった。二葉亭も根が漢学育ちで魏叔子や壮悔堂を毎日繰返し、・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・当時の外国貿易に従事する者は、もとより市中の富有者でもあり、智識も手腕も有り、従って勢力も有り、又多少の武力――と云ってはおかしいが、子分子方、下人僮僕の手兵ようの者も有って、勢力を実現し得るのであった。それで其等の勢力が愛郷土的な市民に君・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・ 真の正義とは、親分も無し、子分も無し、そうして自身も弱くて、何処かに収容せられてしまう姿に於て認められる。重ね重ね言うようだが、芸術に於ては、親分も子分も、また友人さえ、無いもののように私には思われる。 全部、種明しをして書いてい・・・ 太宰治 「如是我聞」
・・・風間七郎は、その大勢の子分と一緒に検挙せられた。杉浦透馬も、T大学の正門前で逮捕せられた。仙之助氏の陳述も乱れはじめた。事件は、意外にも複雑におそろしくなって来たのである。けれども、この不愉快な事件の顛末を語るのが、作者の本意ではなかったの・・・ 太宰治 「花火」
・・・お寺へ金を納めて後生を願うのでもそうであり、泥棒の親分が子分を遊ばせて食わせているのでもそうである。それが善い悪いは別としてこの世の事実なのである。 さるのような人もありかにのような人もあるというのも事実であって、それはこの世界にさるが・・・ 寺田寅彦 「さるかに合戦と桃太郎」
・・・腹心の、子飼の弟子ともいうべき子分達に、一人残らず背かれたことは、彼にとって此上ない淋しいことであった。川村にしても、高橋にしても、斎藤にしても、小野にしても、其他十数人の、彼を支持する有力な子分は、皆組合の手に奪われてしまったのだ。 ・・・ 徳永直 「眼」
・・・ 明治四十一年わたしは海外より還って再び島田を見た時、島田は既に『古文旧書考』四巻の著者として、支那日本両国の学界に重ぜられていた。一日島田はかつて爾汝の友であった唖々子とわたしとを新橋の一旗亭に招き、俳人にして集書家なる洒竹大野氏をわ・・・ 永井荷風 「梅雨晴」
・・・まあ子分のように人を扱うのだなあ。 又正岡はそれより前漢詩を遣っていた。それから一六風か何かの書体を書いていた。其頃僕も詩や漢文を遣っていたので、大に彼の一粲を博した。僕が彼に知られたのはこれが初めであった。或時僕が房州に行った時の紀行・・・ 夏目漱石 「正岡子規」
・・・その時分の生徒は皆恐らく今此所には一人もいないでしょう、卒業したでしょうけれども、しかし貴方がたはその後裔といいますか、跡続ぎ見たような子分見たような者で、その親分をこの教場で度々虐めていた事などがあるから、その子か孫に当るような人などは何・・・ 夏目漱石 「模倣と独立」
出典:青空文庫