・・・ 女は先に立って、廊下のつき当りの小間をあけかけたがそこはそのままにして、次の間へ藍子を入れた。「ちょいと御免なさいね、今お火をもって来ますから」 八畳の座敷で、障子の硝子越しに、南天のある小庭と、先にずっと雪に覆われた下谷辺の・・・ 宮本百合子 「帆」
・・・飯田の小間使いであった。「何か用かい」 君は息が切れて口が利けない。口が利けないまま、石川の着ている羅紗のもじりの袖を掴んでぎゅうぎゅう来た方に引張った。「来て下さい、直ぐ。よ! よ!」 ふと石川は火でも粗忽したのかと思い、・・・ 宮本百合子 「牡丹」
・・・それをしたのは、この日本訳にも序文の出ているオクタアヴ・ミルボオ「小間使いの日記」の作者である。 原名「マリイ・クレエル」というこの作品は一九一一年に出版され、発表と同時にフェミナ賞を貰った。彼女は後二十六年の間に「マリイ・クレエルの工・・・ 宮本百合子 「若い婦人のための書棚」
・・・ 確かに白樺派に属する若い人々は、まじめに、軽蔑など感ぜず女に対し、たとえば小間使いの女との間に生じた関係をも全心的に経験したであろう。女を一人の女として、階級のゆえんで蹂躙したりは決してしなかったであろうが、概して、これらの若い人道主・・・ 宮本百合子 「若き世代への恋愛論」
・・・四月二十八日にはそれまで館の居間の床板を引き放って、土中に置いてあった棺を舁き上げて、江戸からの指図によって、飽田郡春日村岫雲院で遺骸を荼だびにして、高麗門の外の山に葬った。この霊屋の下に、翌年の冬になって、護国山妙解寺が建立せられて、江戸・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・さまがおよめ入の時に持って来られたと云う百人一首やら、お祖父さまが義太夫を語られた時の記念に残っている浄瑠璃本やら、謡曲の筋書をした絵本やら、そんなものを有るに任せて見ていて、凧と云うものを揚げない、独楽と云うものを廻さない。隣家の子供との・・・ 森鴎外 「サフラン」
・・・その時の吉の草紙の上には、字が一字も見あたらないで、宮の前の高麗狗の顔にも似ていれば、また人間の顔にも似つかわしい三つの顔が書いてあった。そのどの顔も、笑いを浮かばせようと骨折った大きな口の曲線が、幾度も書き直されてあるために、真っ黒くなっ・・・ 横光利一 「笑われた子」
出典:青空文庫