・・・将棋盤を人生と考え、将棋の駒を心にして来た坂田らしい言葉であり、無学文盲の坂田が吐いた名文句として、後世に残るものである。この一句には坂田でなければ言えないという個性的な影像があり、そして坂田という人の一生を宿命的に象徴しているともいえよう・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・引用するのは後世の勝手だが、しかし、スタンダールを語るのに非常に便利な言葉、手掛りになるような言葉として引用されるようなものを、下手に残して置かない方が、スタンダールらしかったのではないかと、私は考えるのだ。 ことにそれが墓銘ときては、・・・ 織田作之助 「中毒」
・・・かくて政権は確実に北条氏の掌中に帰し、天下一人のこれに抗議する者なく、四民もまたこれにならされて疑う者なき有様であった。後世の史家頼山陽のごときは、「北条氏の事我れ之を云ふに忍びず」と筆を投じて憤りを示したほどであったが、当時は順逆乱れ、国・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・弟余を顧みて曰く、秀吉の時代、義経の時代、或は又た明治の初年に逢遇せざりしを恨みしは、一、二年前のことなりしも、今にしては実に当代現今に生れたりしを喜ぶ。後世少年吾等を羨むこと幾許ぞと。余、甚だ然りと答へ、ともに奮励して大いに為すあらんこと・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・などと茶化してしまえば、折角のジイドの言葉も、ぼろくそになってしまうが、ジイドの言葉は結果論である。後世、傍観者の言葉である。 ミケランジェロだって、その当時は大理石の不足に悲憤痛嘆したのだ。ぶつぶつ不平を言いながらモオゼ像の制作をやっ・・・ 太宰治 「鬱屈禍」
・・・之をもどかしがり、或いは怠惰と罵り、或いは卑俗と嘲笑するひともあるかも知れないが、しかし、後世に於いて、私たちのこの時代の思潮を探るに当り、所謂「歴史家」の書よりも、私たちのいつも書いているような一個人の片々たる生活描写のほうが、たよりにな・・・ 太宰治 「苦悩の年鑑」
・・・しばらく歩いて老爺に逢い、こんどはもっと、語勢を強くして質問した。老爺は答えなかった。メロスは両手で老爺のからだをゆすぶって質問を重ねた。老爺は、あたりをはばかる低声で、わずか答えた。「王様は、人を殺します。」「なぜ殺すのだ。」・・・ 太宰治 「走れメロス」
・・・メリメ、ゴオゴリほどの男でも、その生存中には、それを敢えてしなかったし、後世の人こそ、あの小説の悪魔は、ゴオゴリ自身であるとか、メリメその人の残忍性であるとか評して、それはもう古典になれば、どちらでもかまわないことなのである。けれども、メリ・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・いったい、科学の方法の基礎には一般人間悟性に固有で必然ないろいろな方則とその運用のあらゆる形式が控えている。この形式はインドやギリシアの古代からいわゆる哲学者によってすでに探究されはじめ、そうして長い哲学の歴史の流れを追うて次第次第に整理さ・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・あるいはその被試験者の友人なり、また場合によっては百年も千年も後世に生まれた同情者が、当人に代わって、あるいは当人に取り憑かれるか取り憑くかして、歌い悲しみ、また歌い喜ぶのである。たとえば、われわれは自分の失恋を詩にすることもできると同時に・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
出典:青空文庫