・・・浜子は近ごろ父との夫婦仲が思わしくないためかだんだん険の出てきた声で、――何や、けったいな子やなア。ほな、十吉はうちで留守番してなはれ。昼間、私が新次を表へ連れだして遊んでいると、近所の人々には、私がむりやり子守をさせられているとしか見えな・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・えい、面倒じゃ。ゴロ合わせはこれまで。雷が待っておる。佐助よ、さらばじゃ」 どういう風の吹き廻しか、さんざん駄洒落たあと、先生の声はそこで途絶えて、暫らくの別れであった。「ああ、ありがたし、かたじけなし、この日、この刻、この術を、許・・・ 織田作之助 「猿飛佐助」
・・・ と、語呂よく、調子よく、ひょいと飛び出した言葉だが、しかしその調子の軽さにくらべて、心はぐっしょり濡れた靴のように重かった。 小沢は学生時代、LUMPENという題を出されて、「RUMPEN とは合金ペンなり」 という怪しげ・・・ 織田作之助 「夜光虫」
・・・それをこうして居れば未だ幾日ごろごろして苦しむことか知れぬ。それにつけても憶出すは母の事。こうと知ったら、定めし白髪を引ひきむしって、頭を壁へ打付けて、おれを産んだ日を悪日と咒って、人の子を苦しめに、戦争なんぞを発明した此世界をさぞ罵る事た・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・毎日午後の三四時ごろに起きては十二時近くまで寝床の中で酒を飲む。その酒を飲んでいる間だけが痛苦が忘れられたが、暁方目がさめると、ひとりでに呻き声が出ていた。装飾品といって何一つない部屋の、昼もつけ放しの電灯のみが、侘しく眺められた。・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
・・・ 午後三時ごろ、学校から帰ると、私の部屋に三人、友だちが集まっています、その一人は同室に机を並べている木村という無口な九州の青年、他の二人は同じこの家に下宿している青年で、政治科および法律科にいる血気の連中でした。私を見るや、政治科の鷹・・・ 国木田独歩 「あの時分」
・・・あまり早期に同じ年ごろの女性と恋愛し、結婚の約束をしてしまうことは、後にいたってあまり好結果でないことが少なくない。ことに不幸な娘に同情してそうするのが一番よくない。年齢の差が少なくとも五つ、六つ――十くらいはありたいが、二十二、三歳で相手・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・入口に騒がしい物音が近づいた。ゴロ寝をしていた浜田たちは頭をあげた。食糧や、慰問品の受領に鉄道沿線まで一里半の道のりを出かけていた十名ばかりが、帰ってきたのだ。 宿舎は、急に活気づいた。「おい、手紙は?」 防寒帽子をかむり、防寒・・・ 黒島伝治 「前哨」
・・・護送に行く看護長が廊下から叫ぶと、防寒服で丸くなった傷病者がごろ/\靴を引きずって出てきた。 橇には、五人ずつ、或は六人ずつ塒にかたまる鶏のように防寒服の毛で寒い隙間を埋めて乗りこんだ。歩けない者は、看護卒の肩にすがり、又は、担架にのせ・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・ その器その徳その才があるのでなければどうすることも出来ない乱世に生れ合せた人の、八十ごろの齢で唐松の実生を植えているところ、日のもとの歌には堕涙の音が聞える。飯綱修法成就の人もまた好いではないか。・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
出典:青空文庫