・・・肉食家というよりは菜食党だった。「野菜料理は日本が世界一である。欧羅巴の野菜料理てのは鶯のスリ餌のようなものばかりだから、「ヴェジテラニヤン・クラブ」へ出入する奴は皆青瓢箪のような面をしている。が、日本では菜食党の坊主は皆血色のイイ健康な面・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・学生の倶楽部や青年の会合には必ず女学生が出席して、才色あるものが女王の位置を占めていた。が、子女の父兄は教師も学校も許す以上はこれを制裁する術がなく、呆然として学校の為すままに任して、これが即ち文明であると思っていた。 自然女学校は高砂・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・しかし、肉体を描くということは、あくまで終極の目的ではなくて単なるデッサンに過ぎず、人間の可能性はこのデッサンが成り立ってはじめてその上に彩色されて行くのである。しかし、この色は絵画的な定着を目的とせず、音楽的な拡大性に漂うて行くものでなけ・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・それは、赤や青や、黒や金などいろ/\な色で彩色した石版五度刷りからなるぱっとしたものだった。「きれいじゃろうが。」子供が食えもしない紙を手にして失望しているのを見ると、与助は自分から景気づけた。「こんな紙やこしどうなりゃ!」「見・・・ 黒島伝治 「砂糖泥棒」
・・・三階、四階の青や朱で彩色した高楼が並んでいる。それが今はすっかり扉を閉め切って猫の仔一匹いない。一昨日そこへ行ってみた。どの家にも変な日本人が立ち番している。オヤオヤ! と思っていると、どこからか俺に声をかける奴がある。見ると撫順にいたこと・・・ 黒島伝治 「防備隊」
・・・特に世の常の巌の色はただ一ト色にしておかしからぬに、ここのは都ての黒きが中に白くして赤き流れ斑の入りて彩色をなせる、いとおもしろし。憾むらくは橋立川のやや遠くして一望の中に水なきため、かほどの巌をして一トしおの栄あらしむること能わず、惜みて・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・あわれ、そのかぐわしき才色を今に語り継がれているサフォこそ、この男のもやもやした胸をときめかす唯一の女性であったのである。 男は、サフォに就いての一二冊の書物をひらき、つぎのようなことがらを知らされた。 けれどもサフォは美人でなかっ・・・ 太宰治 「葉」
・・・ その時の映画の種板はたいてい一枚一枚に長方形の桐製のわくがついていて、映画の種類は東京名所や日本三景などの彩色写真、それから歴史や物語からの抜萃の類であった。そのほかに活動映画の先祖とも言われるべき道化人形の踊る絵があった。目をあいた・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・自分は子供の時から絵が好きで、美しい絵を見れば欲しい、美しい物を見れば画いてみたい、新聞雑誌の挿画でも何でも彩色してみたい。彩色と云っても絵具は雌黄に藍墨に代赭くらいよりしかなかったが、いつか伯父が東京博覧会の土産に水彩絵具を買って来てくれ・・・ 寺田寅彦 「枯菊の影」
・・・前世紀の中ごろあたりの西洋といえば想像されるような特別な世界が、この方四五寸の彩色美しい絵の中に躍動しているのである。この小さな菓子箱のふたを通してのぞいた珍しい世界がどんなに美しくなつかしいものであったか、ずっと晩年にほんとうの西洋へ行っ・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
出典:青空文庫