・・・とある横町を這入って行くと左側にシャボテンを売る店があった。もう少し行くと路地の角の塀に掛けた居住者姓名札の中に「寒川陽光」とあるのが突然眼についた。そのすぐ向う側に寒川氏の家があって、その隣が子規庵である。表札を見ると間違いはないのである・・・ 寺田寅彦 「子規自筆の根岸地図」
・・・ これは堤防の上を歩みながら見る右側の眺望であるが、左側を見れば遠く小工場の建物と烟突のちらばらに立っている間々を、省線の列車が走り、松林と人家とは後方の空を限る高地と共に、船橋の方へとつづいている。高地の下の人家の或処は立て込んだり、・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・ この道は、堤を下ると左側には曲輪の側面、また非常門の見えたりする横町が幾筋もあって、車夫や廓者などの住んでいた長屋のつづいていた光景は、『たけくらべ』に描かれた大音寺前の通りと変りがない。やがて小流れに石の橋がかかっていて、片側に交番・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・お辞儀一つで事が済むなら訳のないことだと、僕は早速承知して主人と共にその自動車に乗り、道普請で凹凸の甚しい小石川の春日町から指ヶ谷町へ出て、薄暗い横町の阪上に立っている博文館へと馳付けた。稍しばらく控所で待たされてから、女給仕に案内せられて・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・ あるときどんな英語の本を読んだら宜かろうという余の問に応じて、先生は早速手近にある紙片に、十種ほどの書目を認めて余に与えられた。余は時を移さずその内の或物を読んだ。即座に手に入らなかったものは、機会を求めて得る度にこれを読んだ。どうし・・・ 夏目漱石 「博士問題とマードック先生と余」
・・・ 代を払って表へ出ると、門口の左側に、小判なりの桶が五つばかり並べてあって、その中に赤い金魚や、斑入の金魚や、痩せた金魚や、肥った金魚がたくさん入れてあった。そうして金魚売がその後にいた。金魚売は自分の前に並べた金魚を見つめたまま、頬杖・・・ 夏目漱石 「夢十夜」
・・・箱の上に尺四方ばかりの姿見があってその左りに「カルルス」泉の瓶が立ている。その横から茶色のきたない皮の手袋が半分見える。箱の左側の下に靴が二足、赤と黒だ、並んでいる。毎日穿くのは戸の前に下女が磨いておいて行く。そのほかに礼服用の光る靴が戸棚・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・いつもは左側にある街路の町家が、逆に右側の方へ移ってしまった。そしてただこの変化が、すべての町を珍しく新しい物に見せたのだった。 その時私は、未知の錯覚した町の中で、或る商店の看板を眺めていた。その全く同じ看板の絵を、かつて何所かで見た・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・ そこで、コンマやピリオドの切り方などを研究すると、早速目に着いたのは、句を重ねて同じことを云うことである。一例を挙ぐれば、マコーレーの文章などによくある in spite of の如きはそれだ。意味から云えば、二つとか、三つとか、もし・・・ 二葉亭四迷 「余が翻訳の標準」
・・・この頃になって彩色の妙味を悟ったので、彩色絵を画いて見たい、と戯れにいったら、不折君が早速絵具を持って来てくれたのは去年の夏であったろう。けれどもそれも棚にあげたままで忘れて居た。秋になって病気もやや薄らぐ、今日は心持が善いという日、ふと机・・・ 正岡子規 「画」
出典:青空文庫