・・・ところが驚いたことには、参会者はすでに整列をすましていて、何のことはない私は遅刻して来た者のようであった。それで私はおそるおそる分会長の前へ出頭すると、分会長はいきなり私の顔を撲って、莫迦野郎、今頃来る奴があるかと奴鳴った。 私は点呼令・・・ 織田作之助 「髪」
・・・ 十一時近くなって、散会になった。後に残ったのは笹川と六人の彼の友だちと、それに会社員の若い法学士とであった。そして会計もすんで、いよいよ皆なも出かけようという時になって、意外なことになった。……それは、今朝になって突然K社の人が佐々木・・・ 葛西善蔵 「遁走」
・・・会は非常な盛会で、中には伯爵家の令嬢なども見えていましたが夜の十時頃漸く散会になり僕はホテルから芝山内の少女の宅まで、月が佳いから歩るいて送ることにして母と三人ぶらぶらと行って来ると、途々母は口を極めて洋行夫婦を褒め頻と羨ましそうなことを言・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・ 或る夜、よそで晩ごはんを食べて、山海の珍味がたくさんあったので驚いた。不思議な気がした。恥をしのんで、女中さんにこっそりたのんで、ビフテキを一つ包んでもらった。ここでおあがりになるのなら、かまわないのですが、お持ちになるのは違法なんで・・・ 太宰治 「新郎」
・・・次々と、山海の珍味が出て来るのであるが、私は胸が一ぱいで、食べることができない。何も食べずに、酒ばかり呑んだ。がぶ、がぶ呑んだのである。雨のため、部屋の窓が全部しめ切られて在るので、蒸し暑く、私は酒が全身に廻って、ふうふう言い、私の顔は、茹・・・ 太宰治 「善蔵を思う」
・・・なに教えて、中村地平君はじめ、井伏さんのお耳まで汚し、一門、たいへん御心配にて、太宰のその一文にて、もしや、佐藤先生お困りのことあるまいかと、みなみな打ち寄りて相談、とにかく太宰を呼べ、と話まとまって散会、――のち、――荻窪の夜、二年ぶりに・・・ 太宰治 「創生記」
・・・切支丹屋敷にオオランド鏤版の古い図があるということを奉行たちから聞き、このつぎの訊問のときにはひとつそれをシロオテに見せてやるよう、言いつけて散会した。 一日おいて二十五日に、白石は早朝から吟味所へつめかけた。午前十時ごろ、奉行の人たち・・・ 太宰治 「地球図」
・・・そうしてまたまた餓え死したくねえという結論を得て散会した。翌る夜は更に相談をし合った。そうして結論は同じであった。相談は果つるところなかったのである。村が乱れて義民があらわれた。十歳の太郎が或る日、両腕で頭をかかえこみ溜息をついている父親の・・・ 太宰治 「ロマネスク」
・・・有名な河童橋は河風が寒く、穂高の山塊はすっかり雨雲に隠されて姿を見せない。この橋の両側だけに人間の香いがするが、そこから六百山の麓に沿うて二十余町の道の両側にはさまざまな喬木が林立している、それが南国生れの自分にはみんな眼新しいものばかりの・・・ 寺田寅彦 「雨の上高地」
・・・この山系とは独立して右のかたはるかにそびえている雄大な山塊は八が岳であろう。ここから見て初めて八が岳の大きさ高さが納得できるような気がした。 ホテルの付近の山中で落葉松や白樺の樹幹がおびただしく無残にへし折れている。あらしのせいかと思っ・・・ 寺田寅彦 「軽井沢」
出典:青空文庫