・・・てしまったので、やけになり世にすねたあげく、いっそこの世を見限ろうとしたこともあるが、五年後の再会を思いだしたので、ふたたび発奮して九州へ渡り、高島、新屋敷などの鉱山を転々とした後、昨年六月から佐賀の山城礦業所にはいって働いているが、もしあ・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・悔恨と焦躁の響きのような鴨川のせせらぎの音を聴きながら、未知の妓の来るのを待っている娼家の狭い部屋は、私の吸う煙草のけむりで濛々としていた。三条京阪から出る大阪行きの電車が窓の外を走ると、ヘッドライトの灯が暗い部屋の中を一瞬はっとよぎって、・・・ 織田作之助 「中毒」
・・・もしこれ等が皆な消え失せて山上に樹っている一本松のように、ただ一人、無人島の荒磯に住んでいたらどうだろう。風は急に雨は暗く海は怪しく叫ぶ時、人の生命、この地の上に住む人の一生を楽しいもの、望あるものと感ずることが出来ようか。 だから人情・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・武之允といういかめしい名を寺の和尚から附けてもらった男で隣村に越す坂の上に住んでいる若い者でした。『なんだ。武之允山城守』『全く修蔵様は尺八が巧いよ』とにやにや笑うのです。この男は少し変りもので、横着もので、随分人をひやかすような口・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・ 甥の山上武は二三日前、石井翁を訪うて、口をきわめてその無為主義を攻撃したのである。武を石井老人はいつも徳と呼ぶ。それは武の幼名を徳助と言ってから、十二三のころ、徳の父が当世流に武と改名さしたのだ。 徳の姿を見ると二三日前の徳の言葉・・・ 国木田独歩 「二老人」
・・・『いっそのこと山上の小屋に一泊して噴火の夜の光景を見ようかという説も二人の間に出たが、先が急がれるのでいよいよ山を下ることに決めて宮地を指して下りた。下りは登りよりかずっと勾配が緩やかで、山の尾や谷間の枯れ草の間を蛇のようにうねっている・・・ 国木田独歩 「忘れえぬ人々」
・・・たとえばキリストの山上の垂訓にあるように、「隣人を愛せよ」とか「姦淫するなかれ」とか発言することができずに、「汝の意欲の準則が普遍的法則たり得るように行為せよ」とか、「汝の現在の態度について、汝自身に忠実であり得るように態度をとれ」とかいい・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・如何にも日本武士的、鎌倉もしくは足利期的の仏であるが、地蔵十輪経に、この菩薩はあるいは阿索洛身を現わすとあるから、甲を被り馬に乗って、甘くない顔をしていられても不思議はないのである。山城の愛宕権現も勝軍地蔵を奉じたところで、それにつづいて太・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・ 第一の飛行機が日光へ向った同じ午前に、一方では、波多野中尉が一名の兵卒をつれて、同じく冒険的に生命をとして大阪に飛行し、はじめて東京地方の惨状の報告と、救護その他軍事上の重要命令を第四師団にわたし、九時間二十分で往復して来ました。それ・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・心配していた雪もたいてい消えていて、駅のもの蔭に薄鼠いろして静かにのこっているだけで、このぶんならば山上の谷川温泉まで歩いて行けるかも知れないと思ったが、それでも大事をとって嘉七は駅前の自動車屋を叩き起した。 自動車がくねくね電光型に曲・・・ 太宰治 「姥捨」
出典:青空文庫