・・・トサエ知ラヌ弱ク優シキ者、キミヲ畏敬シ、キミノ五百枚ノ精進ニ魂消ユルガ如ク驚キ、ハネ起キテ、兵古帯ズルズル引キズリナガラ書店ヘ駈ケツケ、女房ノヘソクリ盗ンデ短銃買ウガ如キトキメキ、一読、ムセビ泣イテ、三嘆、ワガ身クダラナク汚ク壁ニ頭打チツケ・・・ 太宰治 「創生記」
・・・蛾をはたき落とす猫をうらやみ賛嘆する心がベースボールのホームランヒットに喝采を送る。一片の麩を争う池の鯉の跳躍への憧憬がラグビー戦の観客を吸い寄せる原動力となるであろう。オリンピック競技では馬やかもしかや魚の妙技に肉薄しようという世界じゅう・・・ 寺田寅彦 「からすうりの花と蛾」
・・・芸術家でも時に容れられず世から顧みられないで自然本位を押し通す人はずいぶん惨澹たる境遇に沈淪しているものが多いのです。御承知の大雅堂でも今でこそ大した画工であるがその当時毫も世間向の画をかかなかったために生涯真葛が原の陋居に潜んでまるで乞食・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
・・・愛のよろこびや美しい結合に憧れをめざまされるよりも先に、性交への好奇心が石盤刷りのようなあくどさで刺戟されてゆくのは、惨憺たることです。性には人格もあり個性もある。特に女性は人間的な要素が多い。その要素を無視して、性器だけの交渉に中心をおく・・・ 宮本百合子 「新しい抵抗について」
・・・文学報国会が大会を陸海軍軍人の演説によって開会し、出席する婦人作家はもんぺい姿を求められたというようなことは日本の文学史の惨憺たる一頁であった。 わたしは四一年一月から一九四五年八月十五日まで、一切の書くものを発表禁止された。その間に四・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第五巻)」
・・・をどんな目にあわせることになったか、また、自分なんかは、と測定した個々の人の文学の才能や人生への確信を、どんな過程で崩壊させていったかという事実を顧みると、惨澹たるものがある。 野蛮な権力は、文学面で狙いをつけた一定の目標にむかって、ほ・・・ 宮本百合子 「ある回想から」
・・・ところが何日か経って、天井の低い茶室まがいの部屋へそのピアノが入って来たとき、私のおどろきと讚歎はどうだったろう。こんなに綺麗で、こんなに立派だったとは思いもかけず、左右についている銀色の燭台に蝋燭の灯をきらめかせて、何時間も何時間も、夜な・・・ 宮本百合子 「親子一体の教育法」
・・・に高揚された姿であるのも若い女のひとのこころを直接にうたない場合が多い。このことは逆な作用ともなって、たとえばパストゥールを主人公とした「科学者の道」の映画や「キュリー夫人伝」に讚歎するとき若い婦人たちはそれぞれの主人公たちの伝奇的な面へロ・・・ 宮本百合子 「科学の常識のため」
・・・平気でバサリとやる馘首も、惨澹たる生存威嚇であるという事実にまで思い及んで。―― ところが、四月号の『中央公論』に「極東情勢の新展開と日本」という座談会記事がある。ニューヨーク・タイムズ東京支局長リンゼー・パロット氏、AP東京支局長ラッ・・・ 宮本百合子 「鬼畜の言葉」
・・・を書くにいたった今日までの足どりは、一個の男が世相の間に次から次へと押し流されつつある跡として、そこに惨憺たるものがある。「蒼氓」はおそらくこの作者が文学としていいものを書きたいと欲して力を傾けた素直な作品の唯一のものであったと思う。こ・・・ 宮本百合子 「「結婚の生態」」
出典:青空文庫