・・・彼は玄関へ入るなり、まず敷台の隅の洋傘やステッキの沢山差してある瀬戸物の筒に眼をつける――Kの握り太の籐のステッキが見える――と彼は案内を乞うのも気が引けるので、こそ/\と二階のKの室へあがって行く。……「……K君――」「どうぞ……・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・眼顔で火鉢を指したり、そらしたり、兄の顔を盗み見たりする。こちらが見てよくわかっているのにと思い、財布の銀貨を袂の中で出し悩みながら、彼はその無躾に腹が立った。 義兄は落ちついてしまって、まるで無感覚である。「へ、お火鉢」婦はこんな・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・車のあとより車の多くは旅鞄と客とを載せて、一里先なる停車場を指して走りぬ。膳の通い茶の通いに、久しく馴れ睦みたる婢どもは、さすがに後影を見送りてしばし佇立めり。前を遶る渓河の水は、淙々として遠く流れ行く。かなたの森に鳴くは鶇か。 朝夕の・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・ 自分の入って来たのを見て、いきなり一人の水兵が水雷長万歳と叫ぶと、そこらにいた者一斉に立って自分を取り巻き、かの大杯を指しつけた。自分はその一二を受けながら、シナの水兵は今時分定めて旅順や威海衛で大へこみにへこんでいるだろう、一つ彼奴・・・ 国木田独歩 「遺言」
・・・と武石が声を落して窓の中を指した。「俺れゃ、君が這入ったんかと思うて、ここで様子を伺うとったんだ。」「誰れだ?」「分らん。」「下士か、将校か?」「ぼっとしとって、それが分らないんだ。」「誰奴かな。」「――中に這入って・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・すると源三は何を感じたか滝のごとくに涙を墜して、ついには啜り泣して止まなかったが、泣いて泣いて泣き尽した果に竜鍾と立上って、背中に付けていた大な団飯を抛り捨ててしまって、吾家を指して立帰った。そして自分の出来るだけ忠実に働いて、叔父が我が挙・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・暗い目差しをし、前こゞみに始終オド/\して歩いている他の犯罪者とハッキリちがっていた。 それどころか、雑役が話してきかせたのだが、俺だちの仲間のあるものは、通信室や運動場の一定の場所をしめし合せ、雑役を使って他の独房の同志と「レポ」を交・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・あそこに深い谷がある、あそこに遠い高原がある、とその窓から指して言うことができた。「おかげで、いい家ができました。太郎さんにくれるのは惜しいような気がして来ました。これまでに世話してくださるのも、なかなか容易じゃありません。私もまた、時・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・この觀測につきては夙に西人が種々の科學的研究あり、又近く橋本〔増吉〕文學士の研究もあれど、卑見を以てするに、嵎夷、暘谷は東方日出の個所を指し、南交は南方、昧谷は西方日沒の處、朔方は北方を意味し、何れもある格段なる地理的地點を指したるものなり・・・ 白鳥庫吉 「『尚書』の高等批評」
・・・ こういって、じきそばのテイブルの上に、色んな色の絹糸のかせがつんであるのを指したかと思うと、いきなり姿を消してしまいました。 ウイリイはちゃんと犬から教わっているので、ほかのかせより心持色の黒いのをより出し、ポケットからナイフを出・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
出典:青空文庫