・・・に行かなかったのは余の幸であるかはた不幸であるか、考うること四十八時間ついに判然しなかった、日本派の俳諧師これを称して朦朧体という 忘月忘日 数日来の手痛き経験と精緻なる思索とによって余は下の結論に到着した自転車の鞍とペダルとは・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
・・・ 題目の性質としては一気に読み下さないと、思索の縁を時々に切断せられて、理路の曲折、自然の興趣に伴わざるの憾はあるが、新聞の紙面には固より限りのある事だから、不都合を忍んで、これを一二欄ずつ日ごとに分載するつもりである。 この事情の・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・多少書を読み思索にも耽った私には、時に研究の便宜と自由とを願わないこともなかったが、一旦かかる境遇に置かれた私には、それ以上の境遇は一場の夢としか思えなかった。然るに歳漸く不惑に入った頃、如何なる風の吹き廻しにや、友人の推輓によってこの大学・・・ 西田幾多郎 「或教授の退職の辞」
・・・ 元来芸術的と考えられるフランス人は感覚的なものによって思索するということができる。感覚的なものの内に深い思想を見るのである。フランス語の「サンス」 sens という語は他の国語に訳し難い意味を有っている。それは「センス」sense で・・・ 西田幾多郎 「フランス哲学についての感想」
・・・十九世紀で暴威を逞くした思索の奴隷になっていたんで、それを弥々脱却する機会に近づいているらしく見える。新理想とか何とか云い出すな、まだレフレクションに捉われてる証拠さ。併しさすがに以前の理想では満足出来ん所から、新理想主義になって来たんだ。・・・ 二葉亭四迷 「私は懐疑派だ」
・・・もうよほど前からこの男は自己の思索にある節制を加えることを工夫している。神学者にでも言わせようものなら、「生産的静思」なんぞと云うだろう。そう云う態度に自身を置くことが出来るように、この男は修養しているのである。オオビュルナン先生はこんな風・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・今日、文学の中でこういう表現が確信をもってされ、それとしての通用性を自覚した感情で云われ得ているということが、複雑な思索を刺戟し、心を揺って更にひろい、過去未来への問題へ私を誘い出すのである。 二 数年前の・・・ 宮本百合子 「落ちたままのネジ」
・・・この頃いろいろなことで、女子が出ても、選挙の問題や婦人の問題ばかりでなく、刑法・民法のように、まだまだ差別のあることを御承知でしょうし、婦人は公民権をもっておりませんし、代議士になって、いろいろよい施策をやるとしても、いろいろな役割をするに・・・ 宮本百合子 「幸福について」
・・・だが、その描写の自然主義的なテンポは、現代の活きて、働いて、歩きつつ思索する彼等の生活力を表現しているであろうか?「英雄の誕生」が、大衆によっていろいろに吟味されつつある間に、再びソヴェトでは春の種蒔時が迫って来た。一九三〇年だ。『・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」
・・・彼は、或は彼等は、神国日本の男子にとって最も無邪気で自然であった思索形式そのままを、民族精神のよき標本のように、書目録の上に現しているのである。 彼等は、第一門に敬神、釈教を区分した。第二門に政書、職官、礼度、奏議、教育。第三門に天文、・・・ 宮本百合子 「蠹魚」
出典:青空文庫