・・・と言って娘に仕度をさせた。「まだ出るころじゃないのか?」と、弟の細君のお産のことを訊いた。「もうとっくに時が来てるんでしょうから、この間から今日か今日かと待ってるようなわけで、今晩にもどうかというわけなんでしょう」「そりゃたいへ・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
・・・と言って女は帰る仕度をはじめた。「あんたも帰るのやろ」「うむ」 喬は寝ながら、女がこちらを向いて、着物を着ておるのを見ていた。見ながら彼は「さ、どうだ。これだ」と自分で確めていた。それはこんな気持であった。――平常自分が女、女、・・・ 梶井基次郎 「ある心の風景」
・・・と自分が言うを老人は笑って打消し、「大丈夫だよ、今夜だけだもの。私宅だって金庫を備えつけて置くほどの酒屋じゃアなし、ハッハッハッハッハッハッ。取られる時になりゃ私の処だって同じだ。大井様は済んだとして、後の二軒は誰が行く筈になっています・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・お客様に御飯を上げる仕度も為なければならんし」と急に起上がって「紙と筆を借りるよ。置手紙を書くから」と机の傍に行った。 この時助が劇しく泣きだしたので、妻は抱いて庭に下りて生垣の外を、自分も半分泣きながら、ぶらぶら歩るいて児供を寝か・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・「よし、それじゃ、すぐ支度をして聯隊へ行ってくれ。」彼は云った。「一寸。」とイワンが云った。「金をさきに貰いてえんだ。」 そして、イワンは父親の顔を見た。「何?」 行きかけていた商人は振りかえった。「金がほしいんだ。・・・ 黒島伝治 「橇」
・・・そこでまた思い切ってその翌朝、今度は団飯もたくさんに用意する、銭も少しばかりずつ何ぞの折々に叔父に貰ったのを溜めておいたのをひそかに取り出す、足ごしらえも厳重にする、すっかり仕度をしてしまって釜川を背後に、ずんずんずんずんと川上に上った。や・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・―― 小さい時から仲のよかったお安は、この秋には何とか金の仕度をして、東京の監獄にいる兄に面会に行きたがった。母と娘はそれを楽しみに働くことにした。健吉からは時々検印の押さった封緘葉書が来た。それが来ると、母親はお安に声を出して読ませた・・・ 小林多喜二 「争われない事実」
・・・ しかし、熊吉は姉の養生園行を見合せないのみか、その翌日の午後には自分でも先ず姉を見送る支度をして、それからおげんのところへ来た。熊吉は姉の前に手をついて御辞儀した。それほどにして勧めた。おげんはもう嘆息してしまって、肉親の弟が入れとい・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・ ウイリイはその仕度がすっかり出来ますと、すぐに犬と一しょに船へ乗って出ていきました。やはり前と同じように、魚たちはうじ虫をもらい、鯨は空樽をもらいました。それから狼と熊は肉を、大男たちは、パンをもらいました。ウイリイはその大男をつれて・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
人物甲、夫ある女優。乙、夫なき女優。婦人珈琲店の一隅。小さき鉄の卓二つ。緋天鵞絨張の長椅子一つ。椅子数箇。○甲、帽子外套の冬支度にて、手に上等の日本製の提籠を持ち入り来る。乙、半ば飲みさしたる麦酒の小瓶を前に置き、絵・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:森鴎外 「一人舞台」
出典:青空文庫