・・・ すると老人は座敷の隅から、早速二人のまん中へ、紫檀の小机を持ち出した。そうしてその机の上へ、恭しそうに青磁の香炉や金襴の袋を並べ立てた。「その御親戚は御幾つですな?」 お蓮は男の年を答えた。「ははあ、まだ御若いな、御若い内・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・ここも紫檀の椅子机が、清らかに並べてありながら、冷たい埃の臭いがする、――やはり荒廃の気が鋪甎の上に、漂っているとでも言いそうなのです。しかし幸い出て来た主人は、病弱らしい顔はしていても、人がらの悪い人ではありません。いや、むしろその蒼白い・・・ 芥川竜之介 「秋山図」
・・・自分はその一冊を紫檀の机の上へ開いて、静かに始めから読んでいた。 むろんそこには、いやみや涙があった。いや、詠歎そのものさえも、すでに時代と交渉がなくなっていたと言ってもさしつかえない。が、それにもかかわらず、あの「わが袖の記」の文章の・・・ 芥川竜之介 「樗牛の事」
・・・小さな青磁の香炉が煙も立てずにひっそりと、紫檀の台にのっているのも冬めかしい。 その前へ毛氈を二枚敷いて、床をかけるかわりにした。鮮やかな緋の色が、三味線の皮にも、ひく人の手にも、七宝に花菱の紋が抉ってある、華奢な桐の見台にも、あたたか・・・ 芥川竜之介 「老年」
・・・座敷は立派で卓は紫檀だ。火鉢は大きい。が火の気はぽっちり。で、灰の白いのにしがみついて、何しろ暖かいものでお銚子をと云うと、板前で火を引いてしまいました、なんにも出来ませんと、女中の素気なさ。寒さは寒し、なるほど、火を引いたような、家中寂寞・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・ おとよは平生でも両親に叮嚀な人だ、ことに今日は話が話と思うものから一層改まって、畳二畳半ばかり隔てて父の前に座した。紫檀の盆に九谷の茶器根来の菓子器、念入りの客なことは聞かなくとも解る。母も座におって茶を入れ直している。おとよは少し俯・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・ ついに、しんぱくは、岩頭のかわりに、紫檀の卓の上から垂れたのでした。そして、星のかわりに、はなやかな電燈が照らしたのでした。そして、周囲を舞うものは、あの可憐ないわつばめでなくて、人間の美しい男女らでした。きくのはあらしの唄でなく、ピ・・・ 小川未明 「しんぱくの話」
・・・この妾宅には珍々先生一流の趣味によって、食事の折には一切、新時代の料理屋または小待合の座敷を聯想させるような、上等ならば紫檀、安ものならばニス塗の食卓を用いる事を許さないので、長火鉢の向うへ持出されるのは、古びて剥げてはいれど、やや大形の猫・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・と男も鵞鳥の翼を畳んで紫檀の柄をつけたる羽団扇で膝のあたりを払う。「古き世に酔えるものなら嬉しかろ」と女はどこまでもすねた体である。 この時「脚気かな、脚気かな」としきりにわが足を玩べる人、急に膝頭をうつ手を挙げて、叱と二人を制する。三・・・ 夏目漱石 「一夜」
・・・ 真夜中頃に、枕頭の違棚に据えてある、四角の紫檀製の枠に嵌め込まれた十八世紀の置時計が、チーンと銀椀を象牙の箸で打つような音を立てて鳴った。夢のうちにこの響を聞いて、はっと眼を醒ましたら、時計はとくに鳴りやんだが、頭のなかはまだ鳴ってい・・・ 夏目漱石 「京に着ける夕」
出典:青空文庫