・・・ 先生は、いろいろのことを考慮してであったろうが、余り私的なことや感情問題にはふれず、単純に本の話をされた。そして、その本の選択については、年だとか女生徒だとかいうことにかまわず、いきなりこちらの知識慾の理解力とにたよって、教えられた。・・・ 宮本百合子 「時代と人々」
・・・子守女のぶらぶらする様子や、店頭でこごんでたたきを掃いている小僧の姿などが、一瞥のうちに、暖い私的生活の雰囲気を感じさせた。 私は、大抵のとき、前に云った建築敷地の板囲いの前に自分を現した。山の手の住居の方から来る電車の停留場が其処にあ・・・ 宮本百合子 「小景」
・・・今日、大多数の若い人々が、男女にかかわらずそれぞれの恋愛について、私的なことであるが又公的なことでもあるとする一つの公開的態度をもって対する根本には、上述のように、恋愛の含む広い複雑な社会性の意識がいつとなく作用しているからである。 若・・・ 宮本百合子 「成長意慾としての恋愛」
・・・ 今日になってかえりみれば、同盟の先輩たちが当時そのような無批評の状態におちいっていたのには、さまざまの複雑な私的公的のもつれ合った心理的な理由もあったことが私にも分るのであるがその当時は合点が行かなかった。 読者である大衆に対して・・・ 宮本百合子 「近頃の感想」
・・・というような云いかたは詩的な表現として好む人もあるだろうが、現実の人間はもっとつよく高貴な能動の力をひそめているものである。根はしばられつつ、あの風、この風を身にうけて、あなたこなたに打ちそよぎ、微に鳴り、やがて枯れゆく一本の葦では決してな・・・ 宮本百合子 「知性の開眼」
・・・しかし、芭蕉の芭蕉たるところは、哲学的にそういう支柱のある境地さえも自身の寂しさ一徹の直感でうちぬけて、飽くまでもその直感に立って眼目にふれる万象を詩的象徴と見たところにあるのだと思われる。「さび」が日本の心の窮極にあるというよりは、どこま・・・ 宮本百合子 「芭蕉について」
・・・大学にいる間、秀麿はこの期にはこれこれの講義を聴くと云うことを、精しく子爵の所へ知らせてよこしたが、その中にはイタリア復興時代だとか、宗教革新の起原だとか云うような、歴史その物の講義と、史的研究の原理と云うような、抽象的な史学の講義とがある・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・人に指摘して貰って知ることが多い。私は今日まで指摘して貰って、私のそれを承認した誤訳を、ここに発表しようと思う。それは指摘してくれられた人には、没すべからざる恩誼があるから、それに対して公に謝したいためである。七 しかし体に・・・ 森鴎外 「不苦心談」
・・・ 私は此の文学的活動の善悪に関して云う前に、次の一事実を先ず指摘する。 ――いかなるものと雖も、わが国の現実は、資本主義であると云う事実を認めねばならぬ。と。 此の一大事実を認めた以上は、われわれはいかに優れたコンミニス・・・ 横光利一 「新感覚派とコンミニズム文学」
・・・デクレスはナポレオンの征戦に次ぐ征戦のため、フランス国の財政の欠乏の人口の減少と、人民の怨嗟と、戦いに対する国民の飽満とを指摘してナポレオンに詰め寄った。だが、ナポレオンはヨーロッパの平和克復の使命を楯にとって応じなかった。デクレスは最後に・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
出典:青空文庫