・・・蟹の猿を殺したのは私憤の結果にほかならない。しかもその私憤たるや、己の無知と軽卒とから猿に利益を占められたのを忌々しがっただけではないか? 優勝劣敗の世の中にこう云う私憤を洩らすとすれば、愚者にあらずんば狂者である。――と云う非難が多かった・・・ 芥川竜之介 「猿蟹合戦」
・・・その中で沼南夫人は百舌や鴉の中のインコのように美しく飾り立てて脂粉と色彩の空気を漂わしていた。 この五色で満身を飾り立ったインコ夫人が後に沼南の外遊不在中、沼南の名誉に泥を塗ったのは当時の新聞の三面種ともなったので誰も知ってる。今日これ・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・それが女道士になっているから、脂粉の顔色をけがすを嫌っていたかと云うと、そうではない。平生粧を凝し容を冶っていたのである。獄に下った時は懿宗の咸通九年で、玄機は恰も二十六歳になっていた。 玄機が長安人士の間に知られていたのは、独り美人と・・・ 森鴎外 「魚玄機」
・・・それ等の人々は脂粉の気が立ち籠めている桟敷の間にはさまって、秋水の出演を待つのだそうである。その中へ毎晩のように、容貌魁偉な大男が、湯帷子に兵児帯で、ぬっとはいって来るのを見る。これが陸軍少将畑閣下である。 畑は快男子である。戦略戦術の・・・ 森鴎外 「余興」
出典:青空文庫