・・・皿に載せた一片の肉はほんのりと赤い所どころに白い脂肪を交えている。が、ちょっと裏返して見ると、鳥膚になった頬の皮はもじゃもじゃした揉み上げを残している。――と云う空想をしたこともあった。尤も実際口へ入れて見たら、予期通り一杯やれるかどうか、・・・ 芥川竜之介 「格さんと食慾」
・・・少年時代軍人になる志望ありし由。 十八、正直なる事。嘘を云わぬと云う意味にあらず。稀に嘘を云うともその為反って正直な所がわかるような嘘を云う意味。 芥川竜之介 「彼の長所十八」
・・・彼の友だちは堀川という小説家志望の大学生である。彼等は一杯の紅茶を前に自動車の美的価値を論じたり、セザンヌの経済的価値を論じたりした。が、それ等にも疲れた後、中村は金口に火をつけながら、ほとんど他人の身の上のようにきょうの出来事を話し出した・・・ 芥川竜之介 「早春」
・・・ しかし僕はその時分にはまだ作家になろうという志望などを持っていたわけではなかった。それをなぜそう言われたかはいまだに僕には不可解である。 四〇 勉強 僕は僕の中学時代はもちろん、復習というものをしたことはなかっ・・・ 芥川竜之介 「追憶」
・・・講和問題、新婦新郎、涜職事件、死亡広告――私は隧道へはいった一瞬間、汽車の走っている方向が逆になったような錯覚を感じながら、それらの索漠とした記事から記事へ殆機械的に眼を通した。が、その間も勿論あの小娘が、あたかも卑俗な現実を人間にしたよう・・・ 芥川竜之介 「蜜柑」
・・・……称名の中から、じりじりと脂肪の煮える響がして、腥いのが、むらむらと来た。 この臭気が、偶と、あの黒表紙に肖然だと思った。 とそれならぬ、姉様が、山賊の手に松葉燻しの、乱るる、揺めく、黒髪までが目前にちらつく。 織次は激くいっ・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・寄ってくれた人たちは当然のこととして、診断書のこと、死亡届のこと、埋葬証のこと、寺のことなど忠実に話してくれる。自分はしようことなしに、よろしく頼むといってはいるものの、ただ見る眠ってるように、花のごとく美しく寝ているこの子の前で、葬式の話・・・ 伊藤左千夫 「奈々子」
・・・初めから長袖を志望して、ドウいうわけだか神主になる意でいたのが兄貴の世話で淡島屋の婿養子となったのだ。であるから、金が自由になると忽ちお掛屋の株を買って、町人ながらも玄関に木剣、刺叉、袖がらみを列べて、ただの軽焼屋の主人で満足していなかった・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
「僕は、本月本日を以て目出たく死去仕候」という死亡の自家広告を出したのは斎藤緑雨が一生のお別れの皮肉というよりも江戸ッ子作者の最後のシャレの吐きじまいをしたので、化政度戯作文学のラスト・スパークである。緑雨以後真の江戸ッ子文学は絶えてし・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・文学志望で夙くから私の家に出入していた。沼南が外遊してからは書生の雑用が閑になったからといって、殊にシゲシゲと遊びに来た。写字をしたり口授を筆記したりして私の仕事の手伝いをしていた。面胞だらけの小汚ない醜男で、口は重く気は利かず、文学志望だ・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
出典:青空文庫