・・・にては、二月十七日の晩に新宅祝として、友人を招き、宴会を催し、深更に及びし為め、一二名宿泊することとなりたるに、其一名にて主人の親友なる、芝区南佐久間町何丁目何番地住何新聞記者小川某氏其夜脳溢血症にて死亡せりと云ふ。新宅祝の宴会に死亡者を出・・・ 森鴎外 「鼠坂」
・・・健康で余り安逸を貪ったことの無い花子の、いささかの脂肪をも貯えていない、薄い皮膚の底に、適度の労働によって好く発育した、緊張力のある筋肉が、額と腮の詰まった、短い顔、あらわに見えている頸、手袋をしない手と腕に躍動しているのが、ロダンには気に・・・ 森鴎外 「花子」
・・・あの男が少壮にして鉅万の富を譲り受けた時、どう云う志望を懐いていたか、どう云う活動を試みたか、それは僕に語る人がなかった。しかし彼が芸人附合を盛んにし出して、今紀文と云われるようになってから、もう余程の年月が立っている。察するに飾磨屋は僕の・・・ 森鴎外 「百物語」
・・・お医者さんの診断書貰うて、役場へ死亡届出さにゃ叱られるわして。」とお留は云った。「そんなら、もういっぺん打ちやけるか?」 秋三はお霜を眺めてそう訊くと、お霜は安次の着ていた蒲団を摘まみ上げて眺めた。「そんな汚い物、焼いて了え。」・・・ 横光利一 「南北」
・・・ゆるい呼吸の起伏をつづけている臍の周囲のうすい脂肪に、鈍く電灯の光が射していた。蒲団で栖方の顔が隠れているので、首なしのようにみえる若い胴の上からその臍が、「僕、死ぬのが何んだか恐くなりました。」と梶に呟くふうだった。梶は栖方の臍も見た・・・ 横光利一 「微笑」
・・・方と別れて一ヶ月もしたとき、句会の日の技師から高田にあてて、栖方は襟章の星を一つ附加していた理由を罪として、軍の刑務所へ入れられてしまったという報告のあったことと、空襲中、技師は結婚し、その翌日急病で死亡したという二つの話を、梶は高田から聞・・・ 横光利一 「微笑」
出典:青空文庫