・・・その証拠には襟でもシャツの袖口でも、皆新しい白い色を、つめたく肉の上へ硬ばらしている。恐らく学者とか何とか云う階級に属する人なので、完く身なりなどには無頓着なのであろう。「オールマナック・メエカア。正にそれにちがいない。いや僕の考える所・・・ 芥川竜之介 「西郷隆盛」
・・・紺飛白の胸に赤シャツを出した、髪の毛を分けた松本は開戦の合図をするためか、高だかと学校帽をふりまわしている。「開戦!」 画札を握った保吉は川島の号令のかかると共に、誰よりも先へ吶喊した。同時にまた静かに群がっていた鳩は夥しい羽音を立・・・ 芥川竜之介 「少年」
・・・不相変赤シャツを着たO君は午飯の支度でもしていたのか、垣越しに見える井戸端にせっせとポンプを動かしていた。僕は秦皮樹のステッキを挙げ、O君にちょっと合図をした。「そっちから上って下さい。――やあ、君も来ていたのか?」 O君は僕がK君・・・ 芥川竜之介 「蜃気楼」
・・・トンミイ、フレンチ君が、糊の附いた襟が指に障るので顫えながら、嵌まりにくいシャツの扣鈕を嵌めていると、あっちの方から、鈍い心配気な人声と、ちゃらちゃらという食器の触れ合う音とが聞える。「あなた、珈琲が出来ました。もう五時です。」こう云う・・・ 著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外 「罪人」
・・・ 民子は襷掛け僕はシャツに肩を脱いで一心に採って三時間ばかりの間に七分通り片づけてしまった。もう跡はわけがないから弁当にしようということにして桐の蔭に戻る。僕はかねて用意の水筒を持って、「民さん、僕は水を汲んで来ますから、留守番を頼・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・ 二郎さんは スピードを だして はしりました。シャツの そでが 風に ふくらんで、かみのけが ふわふわしました。「メロンを もって きた!」と、ふたりが さけびました。すずしい 木の 下で、太郎さんは、クレヨンで うしの えを・・・ 小川未明 「つめたい メロン」
・・・この地へ着くまでに身辺のものはすっかり売りつくして、今はもう袷とシャツと兵児帯と、真の着のみ着のまま。そして懐に残っているのは五厘銅貨ただ一つだ。明朝になって旅籠代がないと聞いた時の、あの無愛相な上さんの顔が思いやられる。 そのうちに、・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・狭い店の中には腰掛から半分尻をはみ出させた人や、立ち待ちしている人などをいれて、ざっと二十五人ほどの客がいるが、驚いたことには開襟シャツなどを着込んだインテリ会社員風の人が多いのである。彼等はそれぞれ、おっさん、鯨や、とか、どじょうにしてく・・・ 織田作之助 「大阪発見」
・・・その富貴長命という字が模様のように織りこまれた袋の中には、汚れた褞袍、シャツ、二三の文房具、数冊の本、サック、怖しげな薬、子供への土産の色鉛筆や菓子などというものがはいっていた。 さすがに永いヤケな生活の間にも、愛着の種となっていた彼の・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・ ある窓では運動シャツを着た男がミシンを踏んでいた。屋根の上の闇のなかにたくさんの洗濯物らしいものが仄白く浮かんでいるのを見ると、それは洗濯屋の家らしく思われるのだった。またある一つの窓ではレシーヴァを耳に当てて一心にラジオを聴いている・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
出典:青空文庫