・・・ 頃合をはかって、善ニョムさんは寝床の上へ、ソロソロ起きあがると、股引を穿き、野良着のシャツを着て、それから手拭でしっかり頬冠りした。「これでよし、よし……」 野良着をつけると、善ニョムさんの身体はシャンとして来た。ゆるんだタガ・・・ 徳永直 「麦の芽」
・・・夏冬ともシャツにズボンをはいているばかり。何をしていたものの成れの果やら、知ろうとする人も、聞こうとする人も無論なかったが、さして品のわるい顔立ではなかったので、ごろつきでも遊び人でもなく、案外堅気の商人であったのかも知れない。 オペラ・・・ 永井荷風 「草紅葉」
・・・ 商店の中で、シャツ、ヱプロンを吊した雑貨店、煎餅屋、おもちゃ屋、下駄屋。その中でも殊に灯のあかるいせいでもあるか、薬屋の店が幾軒もあるように思われた。 忽ち電車線路の踏切があって、それを越すと、車掌が、「劇場前」と呼ぶので、わたく・・・ 永井荷風 「寺じまの記」
・・・加藤清正が金釦のシャツを着ていましたが、おかしかったですよ。光秀のうちは長屋ですな。あの中にあんな綺麗な着物を着た御嫁さんなんかがいるんだから、もったいない。光秀はなぜ百姓みたように竹槍を製造するんですか。 木更津汐干の場の色彩はごちゃ・・・ 夏目漱石 「虚子君へ」
一 モーパサンの書いた「二十五日間」と題する小品には、ある温泉場の宿屋へ落ちついて、着物や白シャツを衣装棚へしまおうとする時に、そのひきだしをあけてみたら、中から巻いた紙が出たので、何気なく引き延ばして読むと「私の二十五日」とい・・・ 夏目漱石 「手紙」
・・・(断層泉 富沢は蕗をつけてある下のところに足を入れてシャツをぬいで汗をふきながら云った。 頭を洗ったり口をそそいだりして二人はさっきのくぐりを通って宿へ帰って来た。その煤けた天照大神と書いた掛物の床の間の前には小さなランプがついて二・・・ 宮沢賢治 「泉ある家」
・・・ほんとうに阿部時夫なら、冬の間からだが悪かったのではなくて、シャツを一枚しかもっていなかったのです。それにせいが高いので、教室でもいちばん火に遠いこわれた戸のすきまから風のひゅうひゅう入って来る北東の隅だったのです。 けれども今日は、こ・・・ 宮沢賢治 「イーハトーボ農学校の春」
・・・帰るとき、一太と母は幾らかの金の包みと、そう古くない運動シャツなどを貰った。 秋の薄曇った或る日、一太は茶色に塗った長椅子の端に腰かけ、ぼんやり脚をぶらぶらやっていた。一太の傍に母親がいて向うの別な椅子にもう一人よその人がいる。一太と母・・・ 宮本百合子 「一太と母」
・・・私たちが裁縫室へ入った時は、五六人の女の子が、シャツのボタンをしらべ、落ちたのをつけていました。 さあ、また、玄関わきの客間へ戻って来た。ここには、壁新聞やピアノや、この前ハンガリーの共産青年同盟員が訪ねて来たときみんなでとったという写・・・ 宮本百合子 「従妹への手紙」
・・・なる程フランネルのシャツの上に湯帷子を著ている。細かい格子に日を遮られた、薄暗い窓の下に、手習机の古いのが据えてあって、そこが君の席になっている。私は炭団の活けてある小火鉢を挟んで、君と対座した。 この時すぐに目を射たのは、机の向側に夷・・・ 森鴎外 「二人の友」
出典:青空文庫