・・・とにかくべんべろという語のひびきの中に、あの柳の花芽の銀びろうどのこころもち、なめらかな春のはじめの光のぐあいが実にはっきり出ているように、うずのしゅげというときは、あの毛科のおきなぐさの黒朱子の花びら、青じろいやはり銀びろうどの刻みのある・・・ 宮沢賢治 「おきなぐさ」
・・・見ると山ねこは、もういつか、黒い長い繻子の服を着て、勿体らしく、どんぐりどもの前にすわっていました。まるで奈良のだいぶつさまにさんけいするみんなの絵のようだと一郎はおもいました。別当がこんどは、革鞭を二三べん、ひゅうぱちっ、ひゅう、ぱちっと・・・ 宮沢賢治 「どんぐりと山猫」
・・・黒繻子の頂や縁も。 然しそれは、鋪道一体の流れに沿うて前か後に進みきる様子はなく、距離にしたら五六間もない空間で、前後左右に漂っている。 渦にでも捲かれているように、人波に逆らい七八歩も黒い頂を傾け浮いて行ったかと思うと、ひらりと白・・・ 宮本百合子 「小景」
・・・車輪の響きは桃色綿繻子の布団をとおして工合よく日本女をゆすぶった。坐席はひろくゆったりしている。南京虫もこれなら出そうもない。――そうだ。 革命の時代は、三等車かそれとも貨車の中へいきなりわらを敷いて乗って行く方がずっと安全だった。なま・・・ 宮本百合子 「スモーリヌイに翻る赤旗」
・・・ 水浅黄っぽい小紋の着物、肉づきのよい体に吸いつけたように着、黒繻子の丸帯をしめた濃化粧、洋髪の女。庭下駄を重そうに運んで男二人のつれで歩いて来た。「どっちへ行こうかね」「――どちらでも……」 女、描いた眉と眼元のパッと・・・ 宮本百合子 「百花園」
・・・ うめは、祖母の黒繻子の衿にハンケチをかけた肩にもたれかかって押した。「三人ですってば、異人さん」「分りましたとさ」 長火鉢の向う側から、志津が云った。「いい門番さんがいるのねえ、おばあさんとこ」 せきは、長火鉢の縁・・・ 宮本百合子 「街」
・・・ 西洋事情や輿地誌略の盛んに行われていた時代に人となって、翻訳書で当用を弁ずることが出来、華族仲間で口が利かれる程度に、自分を養成しただけの子爵は、精神上の事には、朱子の註に拠って論語を講釈するのを聞いたより外、なんの智識もないのだが、・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・黒繻子の半衿の掛かった、縞の綿入に、余所行の前掛をしている。 女の目は断えず男の顔に注がれている。永遠に渇しているような目である。 目の渇は口の渇を忘れさせる。女は酒を飲まないのである。 箸のすばしこい男は、二三度反した肉の一切・・・ 森鴎外 「牛鍋」
・・・御用を勤める時の支度で、木綿中形の単物に黒繻子の帯を締めていたのである。奥の口でりよは旅支度の文吉と顔を見合せた。そして親の病気が口実だと云うことを悟った。 りよと一しょに奥を下がった傍輩が二三人、物珍らしげに廊下に集まって、りよが宿の・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・あのな、生繻子の丸帯が出たのやが、そりゃ安いのや、買わいせな。」とお留は云った。「それよりお前とこの秋って、どうも仕様のない奴やぞ。株内やぬかしてからに、わしとこへお前、安次みたいな者引っ張って来さらしてさ。お前とこが困るなら、わしとこ・・・ 横光利一 「南北」
出典:青空文庫