・・・地震だなと思うと、すぐにその初期微動の長さの秒数を数えたり、主要動が始まればその方向や週期や振幅を出来るだけ確実に認識しようとする努力が先に立つ。そうしてそれをやっている間に同時にその地震の強弱程度が直観的にかなり明瞭に感知されるから、たい・・・ 寺田寅彦 「家庭の人へ」
・・・ 流感は初期にかかると軽いが後になるほど悪性だとよく人が云う。黴菌がだんだん悪ずれがして来て黴菌の「ヒト」が悪くなるせいでもなさそうである。 流行の初期に慌てて罹る人は元来抵抗力の弱い人ではないかと思う。そういう弱い人は、ちょっと少・・・ 寺田寅彦 「変った話」
・・・もっともI君の家は医家であったので、炎天の長途を歩いて来たわれわれ子供たちのために暑気払いの清涼剤を振舞ってくれたのである。後で考えるとあの飲料の匂の主調をなすものが、やはりこの杏仁水であったらしい。 明治二十年代の片田舎での出来事とし・・・ 寺田寅彦 「さまよえるユダヤ人の手記より」
・・・楠さんは独学で法律を勉強して、後に裁判所の書記に採用された。弟妹とちがって風采もよくてハイカラでまたそれだけにおしゃれでもあった。自宅では勉強が出来ないので円行寺橋の袂にあった老人夫婦の家の静かな座敷を借りて下宿していた。夏のある日の午後、・・・ 寺田寅彦 「重兵衛さんの一家」
・・・ 宅の長屋に重兵衛さんの家族がいてその長男の楠さんというのが裁判所の書記をつとめていた。その人から英語を教わった。ウィルソンかだれかの読本を教わっていたが、楠さんはたぶん奨励の目的で将来の教案を立てて見せてくれた。パーレー万国史、クヮッ・・・ 寺田寅彦 「読書の今昔」
・・・ある朝当時自分の勤めていたR大学の事務室にちょっとした用があってはいって見ると、そこに見慣れぬ年取った禿頭のわりに背の低い西洋人が立っていて、書記のS氏と話をしていた。S氏は自分にその人の名刺を見せて、このかたがP教室の図書室を見たいと言っ・・・ 寺田寅彦 「B教授の死」
・・・また紋付きの羽織で、書机に向かって鉢巻きをしている絵の上に「アーウルサイ、モー落第してもかまん、遊ぶ遊ぶ」とかいたものもある。 亮が後年までほとんど唯一の親友として許し合っていたM氏との交遊の跡も同じ帳面の絵からわかる。 中学時代か・・・ 寺田寅彦 「亮の追憶」
・・・小万は涙ながら写真と遺書とを持ったまま、同じ二階の吉里の室へ走ッて行ッて見ると、素より吉里のおろうはずがなく、お熊を始め書記の男と他に二人ばかり騒いでいた。小万は上の間に行ッて窓から覗いたが、太郎稲荷、入谷、金杉あたりの人家の燈火が・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・ 先生はわが邦歴史のうちで、葡萄牙人が十六世紀に始めて日本を発見して以来織田、豊臣、徳川三氏を経て島原の内乱に至るまでの間、いわゆる西欧交通の初期とも称して然るべき時期を択んで、その部分だけを先年出版されたのである。だから順序からいうと・・・ 夏目漱石 「マードック先生の『日本歴史』」
・・・ ニイチェの理解に於ける困難さは、彼の初期に於ける少数の著書論文を除いて、その後の者が多くアフォリズムの形式で書かれて居ることにある。彼がこの文章の形式を選んだのは、一つには彼の肉体が病弱で、体系を有する大論文を書くに適しなかつた為もあ・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
出典:青空文庫