・・・四日目の朝、しょんぼり、びしょ濡れになって、社へ帰ってまいりました。やられたのです。かれの言いぶんに拠れば、字義どおりの一足ちがい、宿の朝ごはんの後、熱い番茶に梅干いれてふうふう吹いて呑んだのが失敗のもと、それがために五分おくれて、大事にな・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・霧が晴れかかった時に、線路の横の畑の中に一疋の駄馬がしょんぼり立っているのが見えた。その馬のからだ一面から真白な蒸気が仰山に立ち昇っていた。並んで坐っていた連れの男は「コロッサアル、コロッサアル」と呟いていた。私は何となしに笑いたくなって声・・・ 寺田寅彦 「異郷」
・・・高く釣った蚊屋の中にしょんぼり坐っているのは年とった主婦で、乱れた髪に鉢巻をして重い病苦に悩むらしい。亭主はその傍に坐って背でも撫でているけはいである。蚊屋の裾には黒猫が顔を洗っている。 やもりと荒物屋には何の縁もないが、何物かを呪うよ・・・ 寺田寅彦 「やもり物語」
・・・ちょうどおひろが高脚のお膳を出して、一人で御飯を食べているところで、これでよく生命が続くと思うほど、一と嘗めほどのお菜に茄子の漬物などで、しょんぼり食べていた。店の女たちも起きだして、掃除をしていた。「独りで食べてうまいかね」「わた・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・長火鉢の傍にしょんぼりと坐って汚れた壁の上にその影を映させつつ、物静に男の着物を縫っている時、あるいはまた夜の寝床に先ず男を寝かした後、その身は静に男の羽織着物を畳んで角帯をその上に載せ、枕頭の煙草盆の火をしらべ、行燈の燈心を少しく引込め、・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・ 伝説によれば水戸黄門が犬を斬ったという寺の門だけは、幸にして火災を逃れたが、遠く後方に立つ本堂の背景がなくなってしまったので、美しく彎曲した彫刻の多いその屋根ばかりが、独りしょんぼりと曇った空の下に取り残されて立つ有様かえって殉死の運・・・ 永井荷風 「伝通院」
・・・ホモイはみんなのあとを泣きながらしょんぼりついて行きました。梟が大股にのっそのっそと歩きながら時々こわい眼をしてホモイをふりかえって見ました。 みんなはおうちにはいりました。 鳥は、ゆかや棚や机や、うちじゅうのあらゆる場所をふさぎま・・・ 宮沢賢治 「貝の火」
・・・ 画かきは顔をしかめて、しょんぼり立ってこの喧嘩をきいていましたがこのとき、俄かに林の木の間から、東の方を指さして叫びました。「おいおい、喧嘩はよせ。まん円い大将に笑われるぞ。」 見ると東のとっぷりとした青い山脈の上に、大きなや・・・ 宮沢賢治 「かしわばやしの夜」
・・・ 縄をほどかれて、しょんぼり立っていた虎蔵が、ひょいと物をねらう獣のように体を前屈にしたかと思うと、突然りよに飛び掛かって、押し倒して逃げようとした。 その時りよは一歩下がって、柄を握っていた短刀で、抜打に虎蔵を切った。右の肩尖から・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・見ると質朴な田舎者らしい老人夫婦や乳飲み児をかかえた母親や四つぐらいの女の子などが、しょんぼり並んで腰を掛けている。朝からそのままの姿でじっとしていたのではないかと思わせるくらい静かに。その眼には確かに大都会の烈しさに対する恐怖がチラついて・・・ 和辻哲郎 「停車場で感じたこと」
出典:青空文庫