・・・その家の窓からおかみが置き忘れたステッキを突きだすのを、取ろうとすると、スルスルと仕込みの白刃が現われる。ドック近くの裏町の門々にたたずむ無気味な浮浪人らの前をいばって通り抜けて川岸へくると護岸に突っ立ったシルクハットのだぶだぶルンペンが下・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・大勢の踊手が密集した方陣形に整列して白刃を舞わし、音楽に合せて白刃と紙の采配とを打合わせる。その度ごとに采配が切断されてその白い紙片が吹雪のように散乱する。音頭取が一つ拍子を狂わせるとたちまち怪我人が出来るそうである。 映画の立廻りの代・・・ 寺田寅彦 「雑記帳より(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ 安岡は研ぎ出された白刃のような神経で、深谷が何か正体をつかむことはできないが、凄惨な空気をまとって帰ったことを感じた。 ――決闘をするような男じゃ、絶対にないのだが。―― 安岡は、そんな下らないことに頭を疲らすことが、どんなに・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
・・・雖然どう考えても、例えば此間盗賊に白刃を持て追掛けられて怖かったと云う時にゃ、其人は真実に怖くはないのだ。怖いのは真実に追掛けられている最中なので、追想して話す時にゃ既に怖さは余程失せている。こりゃ誰でもそうなきゃならんように思う。私も同じ・・・ 二葉亭四迷 「私は懐疑派だ」
・・・ 只景気のいい人の顎をとかせる前題で、最も印象を深く与えるべき最後に至って、読むものの気持に、白刃の峰打ちを喰った様な感じを与えるのは、山人の感情の現れであり技巧である。 紅葉山人と一葉女史を日露戦争後まで活かして置いたらとつくづく・・・ 宮本百合子 「紅葉山人と一葉女史」
・・・訝しく、襟元を見ると、あたりまえに襟をつけず、深くくって細い白羽二重の縁がとってある。私共はいつもそういうのを着て居る。肌について居るものだから、いきなり、それお前の? ともきけず――人数が減り、家じゅうの空気がひどく透明で澄んで居るので、・・・ 宮本百合子 「木蔭の椽」
・・・大きい一彰という人が白縮緬の兵児帯に白羽二重の襟巻なんかして、母のところを訪ねて来たのを覚えている。この伯父は、母に向ってもやっと膝に手をおいたままうなずくだけであった。そのひとの子が家をつぐことになっていたのがやはりごたついて、流転生活の・・・ 宮本百合子 「繻珍のズボン」
十二月の中旬、祖母が没した。八十四歳の高齢であった。棺前祭のとき、神官が多勢来た。彼等の白羽二重の斎服が、さやさや鳴り拡がり、部屋一杯になった。主だった神官の一人がのりとを読んだ。中に、祖母が「その性高く雄々しく中條精一郎・・・ 宮本百合子 「祖母のために」
・・・全国で七百五十万人を失業させようというその第一の白羽は、三百五十万の女子、青年従業員に立てられている。さらに行政整理では二百万人の失業が出るだろう。軍需補償のうち切りでは百万人が職をはなれるだろう。新聞はそう報じている。一方に、労働調整法が・・・ 宮本百合子 「郵便切手」
・・・ぼんやり地平線に卵色の光りはじめた黎明の空に、陰気に睡そうに茂っていた高原の灌木、濁った、狭い提灯の灯かげに閃いた白刃の寒さ。目の前の堤にかけ登って、ずっと遠くの野を展望した一人の消防夫の小作りな黒い影絵の印象を、恐らく私は生涯忘れないだろ・・・ 宮本百合子 「私の覚え書」
出典:青空文庫