・・・ この店は卓も腰掛けも、ニスを塗らない白木だった。おまけに店を囲う物は、江戸伝来の葭簀だった。だから洋食は食っていても、ほとんど洋食屋とは思われなかった。風中は誂えたビフテキが来ると、これは切り味じゃないかと云ったりした。如丹はナイフの・・・ 芥川竜之介 「魚河岸」
・・・ 土蔵の奥には昔から、火伏せの稲荷が祀ってあると云う、白木の御宮がありました。祖母は帯の間から鍵を出して、その御宮の扉を開けましたが、今雪洞の光に透かして見ると、古びた錦の御戸帳の後に、端然と立っている御神体は、ほかでもない、この麻利耶・・・ 芥川竜之介 「黒衣聖母」
・・・お太鼓だけれども、今時珍らしい黒繻子豆絞りの帯が弛んで、一枚小袖もずるりとした、はだかった胸もとを、きちりと紫の結目で、西行法師――いや、大宅光国という背負方をして、樫であろう、手馴れて研ぎのかかった白木の細い……所作、稽古の棒をついている・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・ ただ伏拝むと、斜に差覗かせたまうお姿は、御丈八寸、雪なす卯の花に袖のひだが靡く。白木一彫、群青の御髪にして、一点の朱の唇、打微笑みつつ、爺を、銑吉を、見そなわす。「南無普門品第二十五。」「失礼だけれど、准胝観音でいらっしゃるね・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・ 白酒入れたは、ぎやまんに、柳さくらの透模様。さて、お肴には何よけん、あわび、さだえか、かせよけん、と栄螺蛤が唄になり、皿の縁に浮いて出る。白魚よし、小鯛よし、緋の毛氈に肖つかわしいのは柳鰈というのがある。業平蜆、小町蝦、飯鮹も憎からず・・・ 泉鏡花 「雛がたり」
・・・突張りの白木の柱が、すくすくと夜風に細って、積んだ棚が、がたがた崩れる。その中へ、炬燵が化けて歩行き出した体に、むっくりと、大きな風呂敷包を背負った形が糶上る。消え残った灯の前に、霜に焼けた脚が赤く見える。 中には荷車が迎に来る、自転車・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・ きょうまで暮して来た自分の生涯は、ぱったり断ち切られてしまって、もう自分となんの関係もない、白木の板のようになって自分の背後から浮いて流れて来る。そしてその上に乗る事も、それを拾い上げる事も出来ぬのである。そしてこれから先き生きている・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・ きょうまで暮して来た自分の生涯は、ばったり断ち切られてしまって、もう自分となんの関係も無い、白木の板のようになって自分の背後から浮いて流れて来る。そしてその上に乗る事も、それを拾い上げる事も出来ぬのである。そしてこれから先き生きている・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・ その、あてにならない保証人は、その翌々日、結納の品々を白木の台に載せて、小坂氏の家へ、おとどけしなければならなくなったのである。 正午に、おいで下さるように、という小坂氏のお言葉であった。大隅君には、他に友人も無いようだ。私が・・・ 太宰治 「佳日」
・・・ポートワインとか、白酒とか、甘味のある酒でなければ飲めなかった。「あなたは、義太夫をおすきなの?」「どうして?」「去年の暮に、あなたは小土佐を聞きにいらしてたわね。」「そう。」「あの時、あたしはあなたの傍にいたのよ。あな・・・ 太宰治 「チャンス」
出典:青空文庫