・・・ 又、義母はんが、何か、やな事云うてやな、 ほんにあかん。 栄蔵は、娘の言葉が、胸の中にスーと暖くしみ込んで行く様に感じた。 新聞を畳んで、栄蔵は買って来た花の鉢をのせた。 真紅な冬咲きの小さいバラの花が二三輪香りも・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・こまかいさまざまの辛苦が、大町さんの誠実な人柄のうちにうけいれられ、こなされ、選択され、方向をととのえ、明日の日本のよりよい生活の建設のために献身する女性として、十分の厚みと、暖かさと、がんばりとなって来ている。人柄のよさというなかに、大町・・・ 宮本百合子 「大町米子さんのこと」
・・・それと同様に、一応野望的な作家の心に湧いたより活溌な、より広汎な、より社会的な文学行動への欲望が、その当然な辛苦、隠忍、客観的観察、現実批判の健康性を内外から喪失して、しかも周囲の世俗の行動性からの衝撃に動かされ、作家のより溌剌な親しみのあ・・・ 宮本百合子 「おのずから低きに」
・・・ 解毒剤 あらゆる面で、生活の正常な機能を破壊された七千万の日本人民が、今日当面している困難と辛苦とは、実に大きい。 複雑な重病にかかったとき私たちはどういう医者を求めるだろう。決して、おさすり町医は求めな・・・ 宮本百合子 「女の手帖」
・・・まわりを房々だした束髪で、真紅な表のフェルト草履を踏んで行くのだが――それだけで充分さらりと浴衣がけの人中では目立つのに、彼女は、まるで妙な歩きつきをしていた。そんなけばけばしいなりをしながら、片手で左わきの膝の上で着物を抓み上げ持ち上った・・・ 宮本百合子 「茶色っぽい町」
・・・はっきりした茶色の幹を輝かして立って居る一群の木々の間からは真紅の小さい葉どもがチラチラして、その奥の奥からはチチチチチ、チチチチチと云う小鳥の声があっちにゆったり落着いて居る山の方まで響いて行く。 私は歓びと驚きで胸が張ち切れそうにな・・・ 宮本百合子 「追憶」
・・・梶は学問上の彼の苦しみや発明の辛苦の工程など、栖方から訊き出す気持はなくなった。また、そんなことは訊ねても梶には分りそうにも思えなかった。「お郷里はどちらです。」「A県です。」 ぱっと笑う。「僕の家内もそちらには近い方ですよ・・・ 横光利一 「微笑」
・・・艶めかしい紅蓮の群落から出て行ってこの白蓮の群落へ入って行ったためにそう感じたのであるとは私は考えない。真紅の紅蓮が艶めかし過ぎて閉口であるように、純粋の白蓮もまた冷たすぎ堅すぎておもしろくない。やはり白色に淡紅色のかかっているような普通の・・・ 和辻哲郎 「巨椋池の蓮」
・・・が、しばらくの間この群落のなかを進んで行って、そういう気分に慣れたあとであったにかかわらず、次いで突入して行った深紅の紅蓮の群落には、われわれはまたあっと驚いた。この紅蓮は花びらの全面が濃い紅色なのであって、白い部分は毛ほども残っていない。・・・ 和辻哲郎 「巨椋池の蓮」
・・・それから櫨のような真紅な色になる葉との間に、実にさまざまな段階、さまざまな種類がある。それが大きい樹にも見られれば、下草の小さい木にも見られる。 私が初めて東山の若王子神社の裏に住み込んだのは、九月の上旬であったが、一月あまりたってよう・・・ 和辻哲郎 「京の四季」
出典:青空文庫