・・・四月頃やっと雪がとけて、メーデーには、小雨でも降ると、まだどうしてなかなか冷えるという時候だ。 それが五月二十日すぎるとカーッと一時に夏になるんだ。 こないだまでその上でみんながスケートをやってたと思うモスクワ河には河童どもがいっぱ・・・ 宮本百合子 「ソヴェト労働者の夏休み」
二日も降り続いて居た雨が漸う止んで、時候の暑さが又ソロソロと這い出して来た様な日である。 まだ乾き切らない湿気と鈍い日差しが皆の心も体も懶るくさせて、天気に感じ易い私は非常に不調和な気分になって居た。 一日中書斎に・・・ 宮本百合子 「追憶」
・・・樟の若葉が丁度あざやかに市の山手一帯を包んで居る時候で、支那風の石橋を渡り、寂びた石段道を緑の裡へ登りつめてゆく心持。長崎独特の趣きがある。実際、長崎という市は、いつの時代にか到る処に賢く豊富な石材を利用したばかりで、すっかり風致に変化を生・・・ 宮本百合子 「長崎の一瞥」
・・・ 向う岸にならんで居る木の小さく見えるほどの大きさ、まわりの草は此の頃の時候に思い思いの花を開いてみどり色にすんだ水と木々のみどり、うすき、うす紅とまじって桔梗の紫、女郎花の黄、撫子はこの池の底の人をしのばすようにうす紅にほんのりと、夜・・・ 宮本百合子 「錦木」
・・・大判の頁、一枚ときめ、椽側で日向ぼっこをしながらちょうど時候にすればいま時分、とつとつと書きつめるのである。 一枚、一枚を使うインクの色をちがえ、バラバラと指で翻し、さも学者らしく一杯ならんだ文字を見ると、自分は楽しさで、来ようとする試・・・ 宮本百合子 「入学試験前後」
時候あたりの気味で、此の二三日又少し熱が出た。 いつも、飲めと云われて居る滋亜燐を何と云う事はなしに忘れて、遠のいて居たからだと云われた。 私は、自分の体を少しも、粗末にあつかって居ないと思って自分では居るけれ共、・・・ 宮本百合子 「熱」
・・・ 一々、産婦の住所、年齢、職業、一般健康状態、姙娠中の状態、出産当時の条件、及生れた赤坊の発育状態、注意事項が書きこまれている。 無事に一週間経って退院となると、この帖簿のなかみがカードに書かれ、母子の後を追って、住んでいる町の母子・・・ 宮本百合子 「モスクワ日記から」
・・・益軒の、性生活に対する注意事項を見ればその間の消息に通じない男でもなかったらしい。しかし、封建的な家というものに女を隷属させて、家を継承する男の子を生む者としてだけ女を計算した封建家族制度の立場は、男のそういう目的に反する全責任を、女に投げ・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
・・・Monet なんぞは同じ池に同じ水草の生えている処を何遍も書いていて、時候が違い、天気が違い、一日のうちでも朝夕の日当りの違うのを、人に味わせるから、一枚見るよりは較べて見る方が面白い。それは巧妙な芸術家の事である。同じモデルの写生を下手に・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
・・・もう時候がそろそろ暑くなる頃だからである。婆あさんが暫くあおぐうちに、爺いさんは読みさした本を置いて話をし出す。二人はさも楽しそうに話すのである。 どうかすると二人で朝早くから出掛けることがある。最初に出て行った跡で、久右衛門の女房が近・・・ 森鴎外 「じいさんばあさん」
出典:青空文庫