・・・と言われても、ああ慧眼と恐れいったりすることがないともかぎらぬような事態にたちいたるので、デカルト、べつだん卓見を述べたわけではないのである。人は弱さ、しゃれた言いかたをすれば、肩の木の葉の跡とおぼしき箇所に、射込んだふうの矢を真実と呼んで・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・は消失する代わりに「抽象された女それ自体」が出現するであろう。 この抽象と強調とアクセンチュエーションは、人形の顔のみならず、その動作にも同じ程度に現われる事はもちろんである。たとえば、すすり泣く女の肩の運動でも、実際の比例よりも郭大さ・・・ 寺田寅彦 「生ける人形」
・・・近ごろ見た漫画の中に登場した一匹の犬などは実によく犬という愛すべき家畜の特性を描象してほとんど「犬自体」を映出していると思われた。もう一つの漫画の長所は、音楽との対位法的モンタージュを行なう場合における視像のエキスプレッションが自由自在であ・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・勲功によって貴族に列せられようという内意があったが辞退したので、爵位はその夫人に授けられ、夫人からその一人息子の John James Struttに伝えられた。これが最初の Lord Rayleigh となった訳である。Rayleigh ・・・ 寺田寅彦 「レーリー卿(Lord Rayleigh)」
・・・頭の冷静な場合にはそんな事はないとしても、切迫した事態のもとに頭が少し不透明になった場合には存外ありそうな事だと思う。 この事件は見方によっては頭のよくない茶目のいたずらとも見られる。しかしまた犯罪心理学者の研究資料にもなれば、科学的認・・・ 寺田寅彦 「路傍の草」
・・・と、そこへ差出すと、爺さんは一度辞退してから、戴いて腹掛へ仕舞いこんだ。「お爺さんはいつも元気すね。」「なに、もう駄目でさ。今日もこの歯が一本ぐらぐらになってね、棕櫚縄を咬えるもんだから、稼業だから為方がないようなもんだけれど……。・・・ 徳田秋声 「躯」
・・・――ことに三吉には話の内容よりも、弁士自体が面白かった。右の肩で、テーブルをおすようにして、ひどい近眼らしく、ふちなしの眼鏡で天井をあおのきながら、つっかかってくる。ところどころ感動して手をたたこうと思っても、その暇がない。――われわれ労働・・・ 徳永直 「白い道」
・・・親は逗子とか箱根とかへ家中のものを連れて行くけれど、自分はその頃から文学とか音楽とかとにかく中学生の身としては監督者の眼を忍ばねばならぬ不正の娯楽に耽りたい必要から、留守番という体のいい名義の下に自ら辞退して夏三月をば両親の眼から遠ざかる事・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・あなたの辞退するのを見て益依頼し度くなったから、兎に角やれるだけやってくれとのことであった。そう言われて見ると、私の性質として又断り切れず、とうとう高等師範に勤めることになった。それが私のライフのスタートであった。 茲で一寸話が大戻りを・・・ 夏目漱石 「処女作追懐談」
上 余が博士に推薦されたという報知が新聞紙上で世間に伝えられたとき、余を知る人のうちの或者は特に書を寄せて余の栄選を祝した。余が博士を辞退した手紙が同じく新聞紙上で発表されたときもまた余は故旧新知もしく・・・ 夏目漱石 「博士問題とマードック先生と余」
出典:青空文庫