・・・そこらの氷店へはいって休んだ時には、森の中にあふるる人影がちらついて、赤い灯や青い旗を吹く風も涼しく、妹婿がいつもの地味な浴衣をくつろげ姪にからかいながらラムネの玉を抜いていた姿がありあり浮ぶ。あの時の氷店の跡などももうたしかに其処とも分ら・・・ 寺田寅彦 「障子の落書」
・・・もう一人ねずみ色の地味な服を着た色の白い鼻の高い若い女は沈鬱な顔をしてマンドリンをかき鳴らしている。船首に一人離れて青い服を着た土人の子供がまるで無関係な人のようにうずくまっていた。このような人々の群れの中にただ一人立ち上がって、白張りの蝙・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・そのうちで地味に適応したものが栄えて花実を結ぶであろう。人にすすめられた種だけをまいて、育たないはずのものを育てる努力にひと春を浪費しなくてもよさそうに思われる。それかといって一度育たなかった種は永久に育たぬときめることもない。前年に植えた・・・ 寺田寅彦 「読書の今昔」
・・・若くてのんきで自由な頭脳を所有する学生諸君が暑苦しい研学の道程であまりに濃厚になったであろうと思われる血液を少しばかり薄めるための一杯のソーダ水として、あるいはまたアカデミックな精白米の滋味に食い飽きて一種のヴィタミン欠乏症にかかる恐れのあ・・・ 寺田寅彦 「量的と質的と統計的と」
・・・ それは色のくすんだ、縞目もわからないような地味なものであった。「こんな地味なもの著るの。僕なんかにいいもんだ」「私は人のように派手なこと嫌いや。それにたんともないさかえ、こんなものなら一枚看板でも目立たんで、いいと思って」・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・(どっちからお出(郡から土性調査をたのまれて盛岡(田畑の地味のお調 老人は眉を寄せてしばらく群青いろに染まった夕ぞらを見た。それからじつに不思議な表情をして笑った。(青金で誰か申し上げたのはうちのことですが、何分汚な・・・ 宮沢賢治 「泉ある家」
・・・と云いますと、一人の百姓は、「しかし地味はどうかな。」と言いながら、屈んで一本のすすきを引き抜いて、その根から土を掌にふるい落して、しばらく指でこねたり、ちょっと嘗めてみたりしてから云いました。「うん。地味もひどくよくはないが、また・・・ 宮沢賢治 「狼森と笊森、盗森」
・・・石英粗面岩の凝灰岩、大へん地味が悪いのです。赤松とちいさな雑木しか生えていないでしょう。ところがそのへん、麓の緩い傾斜のところには青い立派な闊葉樹が一杯生えているでしょう。あすこは古い沖積扇です。運ばれてきたのです。割合肥沃な土壌を作ってい・・・ 宮沢賢治 「台川」
・・・そういう主観の肯定が日本の地味と武者小路氏という血肉とを濾して、今日どういうものと成って来ているか。 そこには『白樺』がもたらした人間への愛の精神が具体的にどう消長したかも語られていて、さまざまの感想を私たちに抱かせると思う。〔一九四一・・・ 宮本百合子 「「愛と死」」
この頃いったいに女のひとの身なりが地味になって来たということは、往来を歩いてみてもわかる。 ひところは本当にひどくて、女の独断がそのまま色彩のとりあわせや帽子の形やにあらわれているようで、そういう人たちがいわば無邪気で・・・ 宮本百合子 「新しい美をつくる心」
出典:青空文庫