・・・一体学級の出来栄えには自ずから一定の平均値があってその上下に若干の出入りがある。その平均が得られれば、それでかなり結構な訳である。しかしもしある学級の進歩が平均以下であるという場合には、悪い学年だというより、むしろ先生が悪いと云った方がいい・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
・・・ところがその翌日は両方の大腿の筋肉が痛んで階段の上下が困難であった。昨日鬼押出の岩堆に登った時に出来た疲労素の中毒であろう。これでは十日計画の浅間登山プランも更に考慮を要する訳である。 宿の夜明け方に時鳥を聞いた。紛れもないほととぎすで・・・ 寺田寅彦 「浅間山麓より」
・・・そしてその余韻は、その人の生活をいくぶんでも浄化するだけの力をもっている。こういう美しいものを見たときと見なかった時とで、その後に来る吾人の経験には何らのちがった反響がない訳にはゆかない。 展覧会で童女像を見た事と壷のアドヴェンチュ・・・ 寺田寅彦 「ある日の経験」
・・・ 蛆がきたないのではなくて、人間や自然の作ったきたないものを浄化するために蛆がその全力をつくすのである。尊重はしても軽侮すべきなんらの理由もない道理である。 蛆が成虫になって蠅と改名すると、急にたちが悪くなるように見える。昔は「五月・・・ 寺田寅彦 「蛆の効用」
幼少のころ、高知の城下から東に五六里離れた親類の何かの饗宴に招かれ、泊まりがけの訪問に出かけたことが幾度かある。饗宴の興を添えるために来客のだれかれがいろいろの芸尽くしをやった中に、最もわれわれ子供らの興味を引いたものは、・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・ うじがきたないのではなくて人間や自然の作ったきたないものを浄化するためにうじがその全力を尽くすのである。尊重はしても軽侮すべきなんらの理由もない道理である。 うじが成虫になってはえと改名すると急に性が悪くなるように見える。昔は五月・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・そしてそれだけにかえって祖父に対するなつかしみは浄化され純化されて子供等の頭の中の神殿に収められるだろうと思ったりする。 今年の夏始めに、涼み台が持ち出されて間もなく、長男が宵のうちに南方の空に輝く大きな赤味がかった星を見付けてあれは何・・・ 寺田寅彦 「小さな出来事」
・・・夕陽は堤防の上下一面の枯草や枯蘆の深みへ差込み、いささかなる溜水の所在をも明に照し出すのみか、橋をわたる車と人と欄干の影とを、橋板の面に描き出す。風は沈静して、高い枯草の間から小禽の群が鋭い声を放ちながら、礫を打つようにぱっと散っては消える・・・ 永井荷風 「放水路」
・・・三隊互ニ循環シテ上下ス。サレバ客ノ此楼ニ登ツテ酔ヲ買ハント欲スルモノ、若シ特ニ某隊中ノ阿嬌第何番ノ艶語ヲ聞カンコトヲ冀フヤ、先阿嬌所属ノ一隊ノ部署ヲ窺ヒ而シテ後其ノ席ニ就カザル可カラズ。然ラザレバ徒ニ纏頭ヲ他隊ノ婢ニ投ジテ而モ終宵阿嬌ノ玉顔・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・夜と云うむやみに大きな黒い者が、歩行いても立っても上下四方から閉じ込めていて、その中に余と云う形体を溶かし込まぬと承知せぬぞと逼るように感ぜらるる。余は元来呑気なだけに正直なところ、功名心には冷淡な男である。死ぬとしても別に思い置く事はない・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
出典:青空文庫