七月八日、朝刊によって、有島武郎氏が婦人公論の波多野秋子夫人と情死されたことを知った。実に心を打たれ、その夜は殆ど眠れなかった。 翌朝、下六番町の邸に告別式に列し、焼香も終って、じっと白花につつまれた故人の写真を見・・・ 宮本百合子 「有島武郎の死によせて」
・・・を、徳田秋声、上司小剣等の作家も久しぶりにそれぞれその人らしい作品を示した。そして当時「ひかげの花」に対して与えられた批評の性質こそ、多くの作家が陥っていた人生的態度並びに文学作品評価についての拠りどころなさ、無気力、焦慮を如実に反映したも・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・ 此は、戦争中に書かれたものだそうだが、上梓されたのはつい近頃の事である。まだ読まないので解らないが、彼の傑作である「ジャン・クリストフ」完成後、反動的な mood の要求によりて此の、明快な、希望と生活力に満ちた大工と指物を業とする五・・・ 宮本百合子 「最近悦ばれているものから」
・・・ 興味あることには、この時代の旺な脈動が、例えば上司小剣、島崎藤村、或は山本有三、広津和郎等に案外の反映を見出していることである。 明治文学の記念塔である藤村の「夜明け前」が執筆され始めたのは昭和四年、新しい文学の波の最高潮に達した・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・を『中央公論』に連載中の島崎藤村はもちろん、永井荷風、徳田秋声、近松秋江、上司小剣、宮地嘉六などの諸氏が、ジャーナリズムの上に返り咲いたことである。 このことは、ブルジョア文学の動きの上に微妙な影響を与えたばかりでなく「ナルプ」解散後の・・・ 宮本百合子 「一九三四年度におけるブルジョア文学の動向」
・・・等の感想集をもち、十二巻の全集が既に上梓された。更に最近七年間の労作である長篇「夜明け前」は明治時代の文学の一つの記念塔として我々の前にある。 藤村の自然に対する愛着、自然から慰安も鼓舞も刺戟をも得ようとする態度は、これらの全著作を通じ・・・ 宮本百合子 「藤村の文学にうつる自然」
・・・却って唐紙に墨で描いたような上司小剣氏の「石合戦」が現われたりしている。これは何故であろうか。或る種の人々はこれまでの作家の怠慢さにその原因を帰するけれども、果してそれだけのことであろうか。社会性は益々濃厚に各方面から各人の上に輻輳して来て・・・ 宮本百合子 「文学の流れ」
・・・続いて二十二日には同じく執政三人の署名した沙汰書を持たせて、曽我又左衛門という侍を上使につかわす。大名に対する将軍家の取扱いとしては、鄭重をきわめたものであった。島原征伐がこの年から三年前寛永十五年の春平定してからのち、江戸の邸に添地を賜わ・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・予にしてもし彼の偽の幸福のために、別方面の種々の事業の阻礙をさえ忘るるものであったなら、予は我分身と与に情死したであろう。そうして今の読者に語るものは幽霊であろう。幽霊は怨めしいと云って出るものには極まって居る。もし東京に残って居る鴎外の昔・・・ 森鴎外 「鴎外漁史とは誰ぞ」
・・・有りふれた例をあげてみれば、当時相対死と言った情死をはかって、相手の女を殺して、自分だけ生き残った男というような類である。 そういう罪人を載せて、入相の鐘の鳴るころにこぎ出された高瀬舟は、黒ずんだ京都の町の家々を両岸に見つつ、東へ走って・・・ 森鴎外 「高瀬舟」
出典:青空文庫