・・・悪魔はアントニオ上人にも、ああ云う幻を見せたではないか? その証拠には今日になると、一度に何人かの信徒さえ出来た。やがてはこの国も至る所に、天主の御寺が建てられるであろう。」 オルガンティノはそう思いながら、砂の赤い小径を歩いて行った。・・・ 芥川竜之介 「神神の微笑」
・・・「それから彼女には情人だろう。」「うん、情人、……まだある。宗教上の無神論者、哲学上の物質主義者……」 夜更けの往来は靄と云うよりも瘴気に近いものにこもっていた。それは街燈の光のせいか、妙にまた黄色に見えるものだった。僕等は腕を・・・ 芥川竜之介 「彼 第二」
・・・もし筆者の言をそのまま信用すれば「ふらんしす上人さまよえるゆだやびとと問答の事」は、当時の天主教徒間に有名な物語の一つとして、しばしば説教の材料にもなったらしい。自分は、今この覚え書の内容を大体に亘って、紹介すると共に、二三、原文を引用して・・・ 芥川竜之介 「さまよえる猶太人」
・・・いや、芸術と云いさえすれば、常人の知らない金色の夢は忽ち空中に出現するのである。彼等も実は思いの外、幸福な瞬間を持たぬ訣ではない。 告白 完全に自己を告白することは何人にも出来ることではない。同時に又自己を告白せずには如・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
「浅草の永住町に、信行寺と云う寺がありますが、――いえ、大きな寺じゃありません。ただ日朗上人の御木像があるとか云う、相応に由緒のある寺だそうです。その寺の門前に、明治二十二年の秋、男の子が一人捨ててありました。それがまた生れ年は勿論、名・・・ 芥川竜之介 「捨児」
・・・ しかし怪しげな、国家主義の連中が、彼らの崇拝する日蓮上人の信仰を天下に宣伝した関係から、樗牛の銅像なぞを建設しないのは、まだしも彼にとって幸福かもしれない。――自分は今では、時々こんなことさえ考えるようになった。・・・ 芥川竜之介 「樗牛の事」
・・・ただこの好女の数の多い情人の一人として春宵のつれづれを慰めるために忍んで来た。――それが、まだ一番鶏も鳴かないのに、こっそり床をぬけ出して、酒臭い唇に、一切衆生皆成仏道の妙経を読誦しようとするのである。…… 阿闍梨は褊袗の襟を正して、専・・・ 芥川竜之介 「道祖問答」
・・・若し僕の神経さえ常人のように丈夫になれば、――けれども僕はその為にはどこかへ行かなければならなかった。マドリッドへ、リオへ、サマルカンドへ、…… そのうちに或店の軒に吊った、白い小型の看板は突然僕を不安にした。それは自動車のタイアアに翼・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・ 伝え聞く、摩耶山とうりてんのうじ夫人堂の御像は、その昔梁の武帝、女人の産に悩む者あるを憐み、仏母摩耶夫人の影像を造りて大功徳を修しけるを、空海上人入唐の時、我が朝に斎き帰りしものとよ。 知ることの浅く、尋ぬること怠るか、はたそれ詣・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・卯の花のたえ間をここに音信るるものは、江戸座、雪中庵の社中か、抱一上人の三代目、少くとも蔵前の成美の末葉ででもあろうと思うと、違う。……田畝に狐火が灯れた時分である。太郎稲荷の眷属が悪戯をするのが、毎晩のようで、暗い垣から「伊作、伊作」「お・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
出典:青空文庫