・・・ 父はこう云いかけると、急にまた枕から頭を擡げて、耳を澄ますようなけはいをさせた。「お父さん。お母さんがちょいと、――」 今度は梯子の中段から、お絹が忍びやかに声をかけた。「今行くよ。」「僕も起きます。」 慎太郎は掻・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・ただ耳を澄ますと、はるか遠くで馬鈴薯をこなしているらしい水車の音が単調に聞こえてくるばかりだった。 父は黙って考えごとでもしているのか、敷島を続けざまにふかして、膝の上に落とした灰にも気づかないでいた。彼はしょうことなしに監督の持って来・・・ 有島武郎 「親子」
・・・うと立ち上がった時、ぴかぴか光る金の延べ板を見つけ出した時の喜びはどんなでしたろう、神様のおめぐみをありがたくおしいただいてその晩は身になる御飯をいたしたのみでなく、長くとどこおっていたお寺のお布施も済ます事ができまして、涙を流して喜んだの・・・ 有島武郎 「燕と王子」
・・・――「――三密の月を澄ます所に、案内申さんとは、誰そ。」 すらすらと歩を移し、露を払った篠懸や、兜巾の装は、弁慶よりも、判官に、むしろ新中納言が山伏に出立った凄味があって、且つ色白に美しい。一二の松も影を籠めて、袴は霧に乗るように、・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・……先祖代々の墓詣は昨日済ますし、久しぶりで見たかった公園もその帰りに廻る。約束の会は明日だし、好なものは晩に食べさせる、と従姉が言った。差当り何の用もない。何年にも幾日にも、こんな暢気な事は覚えぬ。おんぶするならしてくれ、で、些と他愛がな・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・が、一盞献ずるほどの、余裕も働きもないから、手酌で済ます、凡杯である。 それにしても、今時、奥の細道のあとを辿って、松島見物は、「凡」過ぎる。近ごろは、独逸、仏蘭西はつい隣りで、マルセイユ、ハンブルク、アビシニヤごときは津々浦々の中に数・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・私はちょっと其処へ掛けて、会釈で済ますつもりだったが、古畳で暑くるしい、せめてのおもてなしと、竹のずんど切の花活を持って、庭へ出直すと台所の前あたり、井戸があって、撥釣瓶の、釣瓶が、虚空へ飛んで猿のように撥ねていた。傍に青芒が一叢生茂り、桔・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
引越しをするごとに、「雀はどうしたろう。」もう八十幾つで、耳が遠かった。――その耳を熟と澄ますようにして、目をうっとりと空を視めて、火桶にちょこんと小さくいて、「雀はどうしたろうの。」引越しをするごとに、祖母のそう呟いたこ・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・ と続けざまに声を懸けたが、内は森として応がない、耳を澄ますと物音もしないで、かえって遠くの方で、化けた蛙が固まって鳴くように、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。と百万遍。眉を顰めた小宮山は、癪に障るから苛立って喚いた・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・茶や御飯やと出されたけれども真似ばかりで済ます。その内に人々皆奥へ集りお祖母さんが話し出した。「政夫さん、民子の事については、私共一同誠に申訣がなく、あなたに合せる顔はないのです。あなたに色々御無念な処もありましょうけれど、どうぞ政夫さ・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
出典:青空文庫