・・・ ――二人は離ればなれの町に住むようになり、離ればなれに結婚した。――年老いても二人はその日の雪滑りを忘れなかった。―― それは行一が文学をやっている友人から聞いた話だった。「まあいいわね」「間違ってるかも知れないぜ」 ・・・ 梶井基次郎 「雪後」
・・・そして裡に住むべきところをなくした魂は、常に外界へ逃れよう逃れようと焦慮っていた。――昼は部屋の窓を展いて盲人のようにそとの風景を凝視める。夜は屋の外の物音や鉄瓶の音に聾者のような耳を澄ます。 冬至に近づいてゆく十一月の脆い陽ざしは、し・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・他の者はこれに気がつかなかったらしい、いよいよ読み上げが済むとかの酒癖の悪い水兵が、オイ水野、貴様は一つ隠したぞと言って、サア出せと叫んだ。こいつけしからんと他の水兵みな起ち上がって、サア出せいやなら十杯飲めと迫る。自分は笑いながらこれを見・・・ 国木田独歩 「遺言」
上 都より一人の年若き教師下りきたりて佐伯の子弟に語学教うることほとんど一年、秋の中ごろ来たりて夏の中ごろ去りぬ。夏の初め、彼は城下に住むことを厭いて、半里隔てし、桂と呼ぶ港の岸に移りつ、ここより校舎に通い・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・緑草直ちに門戸に接するを見、樹林の間よりは青煙閑かに巻きて空にのぼるを見る、樵夫の住む所、はた隠者の独座して炉に対するところか。 これらの美なる風光はわれにとりて、過去五年の間、かの盲者における景色のごときものにてはあらざりき。一室に孤・・・ 国木田独歩 「小春」
・・・十一月四日――「天高く気澄む、夕暮に独り風吹く野に立てば、天外の富士近く、国境をめぐる連山地平線上に黒し。星光一点、暮色ようやく到り、林影ようやく遠し」同十八日――「月を蹈んで散歩す、青煙地を這い月光林に砕く」同十九日――「天晴・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・あれなら熔金の断れるおそれなどは少しも無くて済む。」 好意からの助言には相違無いが、若崎は侮辱されたように感じでもしたか、「いやですナア蟾蜍は。やっぱり鵞鳥で苦みましょうヨ。」と、悲しげにまた何だか怨みっぽく答えた。「そんな・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・非常な源氏の愛読者で、「これを見れば延喜の御代に住む心地する」といって、明暮に源氏を見ていたというが、きまりきった源氏を六十年もそのように見ていて倦まなかったところは、政元が二十年も飯綱修法を行じていたところと同じようでおもしろい。 長・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・ それが済むと、後は自由な時間になる。小さい固い机の上で本を読む。壁に「ラジオ体操」の図解が貼りつけてあるので、体操も出来る。 独房の入口の左上に、簡単な仕掛けがあって、そこに出ている木の先を押すと、カタンと音がして、外の廊下に独房・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・うだけが命の四畳半に差向いの置炬燵トント逆上まするとからかわれてそのころは嬉しくたまたまかけちがえば互いの名を右や左や灰へ曲書き一里を千里と帰ったあくる夜千里を一里とまた出て来て顔合わせればそれで気が済む雛さま事罪のない遊びと歌川の内儀から・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
出典:青空文庫