・・・だけ丈夫に育てること、それには林間学校を拵えたり、工場付属の療養所、それから転地療養、それから現在は病気になっていないけれども、このまま働いて行けば病気になってしまうという人達は、昼間は働くが、仕事が済むと夜間療養所というものがあってそこへ・・・ 宮本百合子 「ソヴェト・ロシアの素顔」
涙ぐみてうるむ瞳を足元に なぐれば小石うち笑みてありかんしやくを起しゝあとの淋しさに 澄む大空をツク/″\と見るものたらぬ頬を舌にてふくらませ 瓦ころがる抜け歯の音きくうすらさむき秋の暮方な・・・ 宮本百合子 「短歌習作」
・・・そんな事をして、応募した作者に済むか。作者にも済むまいが、こっちへも済むまいと、木村は思った。 木村は悪い意味でジレッタントだと云われているだけに、そんな目に逢って、面白くもない物を読まないでも、生活していられる。兎に角この一山を退治る・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・これは家康がこの府中の城に住むことにきめて沙汰をしたのが今年の正月二十五日で、城はまだ普請中であるので、朝鮮の使の饗応を本多が邸ですることに言いつけておいたからである。「一応とりただしてみることにいたしましょうか」と、本多はやはり気色を・・・ 森鴎外 「佐橋甚五郎」
・・・実に今は住む百万の蒼生草,実に昔は生えていた億万の生草。北は荒川から南は玉川まで、嘘もない一面の青舞台で、草の楽屋に虫の下方,尾花の招引につれられて寄り来る客は狐か、鹿か、または兎か、野馬ばかり。このようなところにも世の乱れとてぜひもなく、・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・ルイザにとって、ロシアは良人の心を牽きつけた美しきアンナの住む国であった。だが、ナポレオンにとっては、ロシアは彼の愛するルイザの微笑を見んがためばかりにさえも、征服せらるべき国であった。左様に彼はルイザを愛し出した。彼が彼女を愛すれば愛する・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
・・・「抛っといてそれで済むもんならええわさ。それより、お前どこで寝せるぞ、奥の間か?」「小屋へ置いときゃええ。」「たあいもないお前、あんとこで死なれてみい。五月になったら蚕さん夜養せんならんのに誰が恐うて行くもんがあるぞ。お前の阿呆・・・ 横光利一 「南北」
・・・強調すべき点は気が済むまでも詳しく書こうとする。そのために空虚な語のはいって来ることには気づかない。従って多くを示唆する少ない語の代わりに、少なくを説明しようとする多くの語がある。しかも熱に浮かされた自分にはその空虚が充溢に見えるのである。・・・ 和辻哲郎 「生きること作ること」
・・・京都に移り住む前には二十年ぐらいも東京で暮らしていたのであるが、かつてそういう気持ちになったことはない。 気になり始めると、いやなのは緑の色調ばかりではなかった。秋になって、樹々の葉が色づいてくる。その黄色や褐色や紅色が、いかにも冴えな・・・ 和辻哲郎 「京の四季」
出典:青空文庫