・・・ 翁は、頭なりに黄帽子を仰向け、髯のない円顔の、鼻の皺深く、すぐにむぐむぐと、日向に白い唇を動かして、「このの、私がいま来た、この縦筋を真直ぐに、ずいずいと行かっしゃると、松原について畑を横に曲る処があるでの。……それをどこまでも行・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・ と頭から呑んでかかって、そのままどこかへ、ずい。 呑まれた小宮山は、怪しい女の胃袋の中で消化れたように、蹲ってそれへ。 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と、風が引いたり寄せたりして聞えまする、百万遍。・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・ 骨のずいまで小説的である。これに閉口してはならない。無性格、よし。卑屈、結構。女性的、そうか。復讐心、よし。お調子もの、またよし。怠惰、よし。変人、よし。化物、よし。古典的秩序へのあこがれやら、訣別やら、何もかも、みんなもらって、ひっ・・・ 太宰治 「一日の労苦」
・・・へ来て、マサ子を板の間におろして、それから、殺気立った眼つきで私をにらみ、しばらく棒立ちになっていらして、一ことも何もおっしゃらず、やがてくるりと私に背を向けてお部屋のほうへ行き、ピシャリ、と私の骨のずいまで響くような、実にするどい強い音を・・・ 太宰治 「おさん」
・・・この夫婦は引越しにずいぶん馴れているらしく、もうはや、あらかた道具もかたづいていて、床の間には、二三輪のうす赤い花をひらいているぼけの素焼の鉢が飾られていた。軸は、仮表装の北斗七星の四文字である。文句もそうであるが、書体はいっそう滑稽であっ・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・それは前陳の、予感があったという、それだけでも、うなずいて頂けると思います。何はしかれ、御手紙をうれしく拝見したことをもう一度申し上げて万事は御察し願うと共に貴下をして、小生を目してきらいではない程のことでは済まされぬ、本当に好きだといって・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・ その日、草田の家では、ずいぶん僕を歓待してくれた。他の年始のお客にも、いちいち僕を「流行作家」として紹介するのだ。僕は、それを揶揄、侮辱の言葉と思わなかったばかりか、ひょっとしたら僕はもう、流行作家なのかも知れないと考え直してみたりな・・・ 太宰治 「水仙」
・・・ゲエテは、やはり善いことを教えている。私は、このごろ、ゲエテをこそ、わが師なりとして、もっぱら仰ぎ、学んでいる。ゲエテは、ずいぶん永生きをした。その点だけでも、クライスト、透谷よりは、たのもしく、学ぶところも多いような気がする。おのれの才能・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・「妙なばんばが出て来て、妙なじんまをずいて、ずいてずきすえた」これを翻訳すると「変な老婆が登場して、変な老爺をしかり飛ばした」というのである。その芝居の下手さが想像される。 つい近ごろある映画の試写会に出席したら、すぐ前の席にやはり十歳・・・ 寺田寅彦 「生ける人形」
公園の片隅に通りがかりの人を相手に演説をしている者がある。向うから来た釜形の尖った帽子を被ずいて古ぼけた外套を猫背に着た爺さんがそこへ歩みを佇めて演説者を見る。演説者はぴたりと演説をやめてつかつかとこの村夫子のたたずめる前・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
出典:青空文庫