・・・という条件付きであったのである。 三文文学とか「チープ・リテレチュア」とかいう言葉は今でも折々繰返されてるが、斯ういう軽侮語を口にするものは、今の文学を研究して而して後鑑賞するに足らざるが故に軽侮するのではなくて、多くは伝来の習俗に俘わ・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・かつて或る暴風雨の日に俄に鰻が喰いたくなって、その頃名代の金杉の松金へ風雨を犯して綱曳き跡押付きの俥で駈付けた。ところが生憎不漁で休みの札が掛っていたので、「折角暴風雨の中を遥々車を飛ばして来たのに残念だ」と、悄気返って頻に愚痴ったので、帳・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・一度打つたびに臭い煙が出て、胸が悪くなりそうなのを堪えて、そのくせそのを好きなででもあるように吸い込んだ。余り女が熱心なので、主人も吊り込まれて、熱心になって、女が六発打ってしまうと、直ぐに跡の六発の弾丸を込めて渡した。 夕方であったの・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
一 さよ子は毎日、晩方になりますと、二階の欄干によりかかって、外の景色をながめることが好きでありました。目のさめるような青葉に、風が当たって、海色をした空に星の光が見えてくると、遠く町の燈火が、乳色のもやのうちから、ちらちらとひ・・・ 小川未明 「青い時計台」
・・・そのくせ俺は湯が好きでね」「そうね。金さんは元から熱湯好きだったね。だけど、酔ってる時だけは気をおつけよ、人事じゃないんだよ」「大きに! まだどうも死ぬにゃ早いからな」「当り前さ、今から死んでたまるものかね。そう言えば、お前さん・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・けど、お習字してますと、なんやこう、悩みや苦しみがみな忘れてしまえるみたい気イしますのんで、私好きです。貴方なんか、きっとお習字上手やと思いますわ。お上手なんでしょう? いっぺん見せていただきたいわ」「僕は字なんかいっぺんも習ったことは・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・ その眼付きを見ると、嫉妬深い男だと言った女の言葉が、改めて思いだされて、いまさきまで女と向い合っていたということが急に強く頭に来た。「しかし、まあ、いずれ……」 曖昧に断りながら、ばつのわるい顔をもて余して、ふと女の顔を見ると・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・ 五代は丹造のきょときょとした、眼付きの野卑な顔を見て、途端に使わぬ肚をきめたが、八回無駄足を踏ませた挙句、五時間待たせた手前もあって、二言三言口を利いてやる気になり、「――お前の志望はいったい何だ?」 と、きくと丹造はすかさず・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・ 何の報いで咽喉の焦付きそうなこの渇き? 渇く! 渇くとは如何なものか、御存じですかい? ルーマニヤを通る時は、百何十度という恐ろしい熱天に毎日十里宛行軍したッけが、其時でさえ斯うはなかった。ああ誰ぞ来て呉れれば好いがな。 しめた! こ・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・のだが、それからざっと二十年の間私たちは大部分旅で暮してきて、父とも親しく半年といっしょに暮した憶えもなく過してきたようなわけで、ようようこれからいっしょに暮せる時が来た、せめて二三年は生きてもらって好きな酒だけでも飲ませたいと思った甲斐も・・・ 葛西善蔵 「父の葬式」
出典:青空文庫