・・・楽しき日は落ちて、楽しき夕幕の薄明りの、尽くる限りはあらじと思う。その時に戴けるはこの冠なり」と指を挙げて眉間をさす。冠の底を二重にめぐる一疋の蛇は黄金の鱗を細かに身に刻んで、擡げたる頭には青玉の眼を嵌めてある。「わが冠の肉に喰い入るば・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・風を切り、夜を裂き、大地に疳走る音を刻んで、呪いの尽くる所まで走るなり。野を走り尽せば丘に走り、丘を走り下れば谷に走り入る。夜は明けたのか日は高いのか、暮れかかるのか、雨か、霰か、野分か、木枯か――知らぬ。呪いは真一文字に走る事を知るのみじ・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・人の意尽く張三に見われたりといわんか夫の李四を如何。若李四に見われたりといわんか夫の張三を如何。して見れば張三も李四も人は人に相違なけれど、是れ人の一種にして真の人にあらず。されば未だ全く人の意を見わすに足らず。蓋し人の意は我脳中の人に於て・・・ 二葉亭四迷 「小説総論」
・・・橋あり長さ数十間その尽くる処嶄岩屹立し玉筍地を劈きて出ずるの勢あり。橋守に問えば水晶巌なりと答う。 水晶のいはほに蔦の錦かな 南条より横にはいれば村社の祭礼なりとて家ごとに行燈を掛け発句地口など様々に書き散らす。若人はたすきりり・・・ 正岡子規 「旅の旅の旅」
・・・固より船中の事で血を吐き出す器もないから出るだけの血は尽く呑み込んでしまわねばならぬ。これもいやな思いの一つであった。夜が明けても船の中は甚だ静かで人の気は一般に沈んで居る。時々アーアーという歎声を漏らす人もある。一週間の碇泊とは随分長い感・・・ 正岡子規 「病」
・・・一度梟身を尽して、又新に梟身を得、審に諸の患難を被りて、又尽くることなし。 で前の晩は、諸鳥歓喜充満せりまで、文の如くに講じたが、此の席はその次じゃ。則ち説いて曰くと、これは疾翔大力さまが、爾迦夷上人のご懇請によって、直ちに説法をなされ・・・ 宮沢賢治 「二十六夜」
・・・わたしたちの知ったとき、もう浅吉の木菟のようなふくらんだ頬っぺたには白く光る不精髭があったし、おゆきは、ばあやさんと呼ばれていた。「ねえ、おゆきばあや、あっさんは赤門にいるの」 縫物をしているおゆきのわきにころがって小さい女の子は質・・・ 宮本百合子 「菊人形」
・・・今日、彼等の社会を風靡していると云われる物質主義、精力主義、並に実利主義は、未開の而も生産力の尽くるところを知らない自然に向って、祖先が、本能的に刺戟された一方面の発育であると云えるのではありませんでしょうか。 源泉は遠い遠い彼方迄遡る・・・ 宮本百合子 「男女交際より家庭生活へ」
・・・ この年、一七九九年のブルターニュの反乱を題材とした「木菟党」を発表し、バルザックはこの小説で初めて自分の本名を署名した。つづいて同年「結婚の生理」を完成し、作家オノレ・ド・バルザックの名は漸く世間的に認められ、新聞雑誌に喧伝せられるに・・・ 宮本百合子 「バルザックに対する評価」
・・・) ブルターニュ 木菟党をよむ。深く感動した。今日、ヨーロッパ地図の上で、人間の理性の地図の上で、ナチス侵入に総反撃を加えつつあるブルターニュのマーキの人々の活躍の価値を思い合わせて。 木菟党は、大革命・・・ 宮本百合子 「バルザックについてのノート」
出典:青空文庫