・・・――僕は今はもう実際に人のベッドシーンを見るということよりも、そんな自分の状態の方がずっと魅惑的になって来ているんです。何故と言って、自分の見ている薄暗い窓のなかが、自分の思っているようなものでは多分ないことが、僕にはもう薄うすわかっている・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・下りは登りよりかずっと勾配が緩やかで、山の尾や谷間の枯れ草の間を蛇のようにうねっている路をたどって急ぐと、村に近づくにつれて枯れ草を着けた馬をいくつか逐いこした。あたりを見るとかしこここの山の尾の小路をのどかな鈴の音夕陽を帯びて人馬いくつと・・・ 国木田独歩 「忘れえぬ人々」
・・・「いや、ずっと上へ廻ったんだ。ところがそこにも警戒兵がいた」「どこにだって警戒兵はいるさ。番をするのはあたりまえだ」「ふーむ、ふーむ、みごとにうたれちゃった」 呉清輝はうたれたのが愉快だというような声を出した。 火酒は、・・・ 黒島伝治 「国境」
ずっと前の事であるが、或人から気味合の妙な談を聞いたことがある。そしてその話を今だに忘れていないが、人名や地名は今は既に林間の焚火の煙のように、何処か知らぬところに逸し去っている。 話をしてくれた人の友達に某甲という男があった。そ・・・ 幸田露伴 「観画談」
・・・込んで誘う水あれば、御意はよし往なんとぞ思う俊雄は馬に鞭御同道仕つると臨時総会の下相談からまた狂い出し名を変え風俗を変えて元の土地へ入り込み黒七子の長羽織に如真形の銀煙管いっそ悪党を売物と毛遂が嚢の錐ずっと突っ込んでこなし廻るをわれから悪党・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・毎年の暮れに、郷里のほうから年取りに上京して、その時だけ私たちと一緒になる太郎よりも、次郎のほうが背はずっと高くなった。 茶の間の柱のそばは狭い廊下づたいに、玄関や台所への通い口になっていて、そこへ身長を計りに行くものは一人ずつその柱を・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・ どこをも、別荘の園のあるあたりをも、波戸場になっているあたりをも、ずっと下がって、もう河の西岸の山が畠の畝に隠れてしまう町のあたりをも、こんた黒い男等の群がゆっくり歩いている。数週前から慣れた労働もせず、随って賃銀も貰わないのである。・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・ そうすると、ずっと向うの方に、きれいなお城がきらきらと日に光っていました。犬は、「このへんでしばらく待っていらっしゃい。あのお城のぐるりには毒蛇と竜が一ぱいいて、そばへ来るものをみんな殺してしまいます。しかし、その毒蛇も竜も、日中・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
・・・ その先には作物を作らずに休ませておく畑があって、森の中よりもずっと熱い日がさしていました。灰色の土塊が長く幾畦にもなっているかと思うと、急にそれが動きだしたので、よく見ると羊の群れの背が見えていたのでした。 羊、その中にも小羊はお・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:有島武郎 「真夏の夢」
・・・母にとって、娘と云うものは、息子よりずっと自分に親しい一部分です。娘の欠点は、自分の恥の源ともなります。父親のバニカンタは、却って他の娘達より深くスバーを愛しましたが、母親は、自分の体についた汚点として、厭な気持で彼女を見るのでした。 ・・・ 著:タゴールラビンドラナート 訳:宮本百合子 「唖娘スバー」
出典:青空文庫