・・・ Mは体を濡らし濡らし、ずんずん沖へ進みはじめた。僕はMには頓着せず、着もの脱ぎ場から少し離れた、小高い砂山の上へ行った。それから貸下駄を臀の下に敷き、敷島でも一本吸おうとした。しかし僕のマツチの火は存外強い風のために容易に巻煙草に移ら・・・ 芥川竜之介 「海のほとり」
・・・熱はずんずん下りながら、脈搏は反ってふえて来る。――と云うのがこの病の癖なんですから。」「なるほど、そう云うものですかな。こりゃ我々若いものも、伺って置いて好い事ですな。」 お絹の夫は腕組みをした手に、時々口髭をひっぱっていた。慎太・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・播いた種は伸をするようにずんずん生い育った。仁右衛門はあたり近所の小作人に対して二言目には喧嘩面を見せたが六尺ゆたかの彼れに楯つくものは一人もなかった。佐藤なんぞは彼れの姿を見るとこそこそと姿を隠した。「それ『まだか』が来おったぞ」といって・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ そう思うと、同時に窓の下の出来事はずんずんクララの思う通りにはかどって行った。夏には夏の我れを待て。春には春の我れを待て。夏には隼を腕に据えよ。春には花に口を触れよ。春なり今は。春なり我れは。春なり我れ・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・水の面が、水の面が、脈を打って、ずんずん拡がる。嵩増す潮は、さし口を挟んで、川べりの蘆の根を揺すぶる、……ゆらゆら揺すぶる。一揺り揺れて、ざわざわと動くごとに、池は底から浮き上がるものに見えて、しだいに水は増して来た。映る影は人も橋も深く沈・・・ 泉鏡花 「海の使者」
・・・「真黒な円い天窓を露出でな、耳元を離した処へ、その赤合羽の袖を鯱子張らせる形に、大な肱を、ト鍵形に曲げて、柄の短い赤い旗を飜々と見せて、しゃんと構えて、ずんずん通る。…… 旗は真赤に宙を煽つ。 まさかとは思う……ことにその言った・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・兄はきまった癖で口小言を言いつつ、大きな箕で倉からずんずん籾を庭に運ぶ。あとから姉がその籾を広げて回る。満蔵は庭の隅から隅まで、藁シブを敷いてその上に蓆を並べる。これに籾を干すのである。六十枚ほど敷かれる庭ももはや六分通り籾を広げてしまった・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・ 中しきりの鏡戸に、ずんずん足音響かせてはや仕事着の兄がやってきた。「ウン起きたか省作、えい加減にして土竜の芸当はやめろい。今日はな、種井を浚うから手伝え。くよくよするない、男らしくもねい」 兄のことばの終わらぬうちに省作は素足・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・これではいけないと思って、ふたたび静かなところに出て耳を澄ましますと、またはっきりと、よい音が聞こえてきましたから、今度は、その音のする方へずんずん歩いていきました。いつしか日はまったく暮れてしまって、空には月が出ました。 さよ子は、か・・・ 小川未明 「青い時計台」
・・・ そのとき、汽車は、野原や、また丘の下や、村はずれや、そして、大きな河にかかっている鉄橋の上などを渡って、ずんずんと東北の方に向かって走っていたのでした。 その日の晩方、あるさびしい、小さな駅に汽車が着くと、飴チョコは、そこで降ろさ・・・ 小川未明 「飴チョコの天使」
出典:青空文庫