・・・これを一つ、日本浪曼派の同人諸兄にたのんで、芝居をしてもらおう。精悍無比の表情を装い、斬人斬馬の身ぶりを示して居るペテロは誰。おのれの潔白を証明することにのみ急なる態のフィリッポスは誰。ただひたすらに、あわてふためいて居るヤコブは誰。キリス・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・あるいは「荘厳」あるいは「盛観」という事を心掛けるより他に仕様がないようである。浜口雄幸氏は、非常に顔の大きい人であった。やはり美男子ではなかった。けれども、盛観であった。荘厳でさえあった。容貌に就いては、ひそかに修養した事もあったであろう・・・ 太宰治 「容貌」
・・・ 窓際の籐椅子に腰かけて、正面に聳える六百山と霞沢山とが曇天の夕空の光に照らされて映し出した色彩の盛観に見惚れていた。山頂近く、紺青と紫とに染められた岩の割目を綴るわずかの紅葉はもう真紅に色づいているが、少し下がった水準ではまだようやく・・・ 寺田寅彦 「雨の上高地」
・・・ カルネラは昔の力士の大砲を思い出させるような偉大な体躯となんとなく鈍重な表情の持ち主であり、ベーアはこれに比べると小さいが、鋼鉄のような弾性と剛性を備えた肉体全体に精悍で隼のような気魄のひらめきが見える。どこか昔日の力士逆鉾を思い出さ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・その後で立った人は、短い顔と多角的な顎骨とに精悍の気を溢らせて、身振り交じりに前の人の説を駁しているようであった。 たださえ耳の悪いのが、桟敷の不良な空気を吸って逆上して来たために、猶更聞こえが悪くなったのか、それとも云っている事が、よ・・・ 寺田寅彦 「議会の印象」
・・・浅草へ行く積りであったがせっかく根岸で味おうた清閑の情を軽業の太鼓御賽銭の音に汚すが厭になったから山下まで来ると急いで鉄道馬車に飛乗って京橋まで窮屈な目にあって、向うに坐った金縁眼鏡隣に坐った禿頭の行商と欠伸の掛け合いで帰って来たら大通りの・・・ 寺田寅彦 「根岸庵を訪う記」
・・・恋の中に浸りながら恋を静観しうる心の余裕があるものでなければ俳諧の恋の句を作る事はできない。実際芭蕉は人間禽獣はもちろん山川草木あらゆる存在に熱烈な恋をしかけ、恋をしかけられた人である。芭蕉の句の中で単に景物を詠じたような句でありながら非常・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・ このように自然と人間との交渉を通じて自然を自己の内部に投射し、また自己を自然の表面に映写して、そうしてさらにちがった一段高い自己の目でその関係を静観するのである。 こういうことができるというのが日本人なのである。 こういうふう・・・ 寺田寅彦 「俳句の精神」
・・・渋色をした小さな身体が精悍の気ではち切れそうに見えた。二、三分もすると急に飛び上がって一文字に投げるように隣家の屋根をすれすれに越して見えなくなってしまった。 私は毛虫にこういう強敵のある事は全く知らなかったので、この目前の出来事からか・・・ 寺田寅彦 「蜂が団子をこしらえる話」
・・・長いあいだ色々の労働で鍛えて来たその躯は、小いなりに精悍らしく見えた。 上さんが気を利かして、金を少し許り紙に包んで、「お爺さん少しだけれど、一杯飲んで下さいよ」と、そこへ差出すと、爺さんは一度辞退してから、戴いて腹掛へ仕舞いこんだ。・・・ 徳田秋声 「躯」
出典:青空文庫