・・・これらの娘たちは、伯母の所へ茶や縫物や生花を習いに来ている町の娘たちで二三十人もいた。二階の大きな部屋に並んだ針箱が、どれも朱色の塗で、鳥のように擡げたそれらの頭に針がぶつぶつ刺さっているのが気味悪かった。 生花の日は花や実をつけた灌木・・・ 横光利一 「洋灯」
・・・だから半世紀の間にキリシタンの宣教師たちのやった仕事は、実際おどろくべき成果をおさめたのである。 しかし文化的でない、別の理由から出た鎖国政策は、ヒステリックな迫害によって、この時代に日本人の受けたヨーロッパ文化の影響を徹底的に洗い落と・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
・・・我々の国家が或る権力の代表者を主権者とせずして、道の代表者を主権者とすることは、確かに我々の国体の精華である。がもとよりこの道は、理念として人類を引き行くものであって、或る時代或る階級の特殊な思想を意味するのでない。いかなる思想も、それが根・・・ 和辻哲郎 「蝸牛の角」
・・・あらゆる発明と発達とはその成果を戦場に並べ立て、あらゆる個々の進歩はその戦争への貢献によって一時に我々の注意を刺激する。戦前の十年もついに戦争中の一年に如かない。 このことはおそらく狂気じみたいら立たしさ――持続の意力をほとんど完全に欠・・・ 和辻哲郎 「世界の変革と芸術」
・・・それに加えておのれの生家のいろいろな不幸をも早くから経験しなくてはならなかった。無邪気な少年の心に、わがままを抑えるとか、他人の気を兼ねるとかの必要が、冷厳な現実としてのしかかってくる。これは一人の人の生涯にとっては非常に大きい事件だと言わ・・・ 和辻哲郎 「藤村の個性」
・・・水野精一君たちの精密な実地踏査が始まったのもそのころで、その成果『雲岡石窟』十五巻の刊行が終わったのは、つい数年前のことである。これで雲岡遣蹟の紹介の仕事は完成したといってよいが、しかしそれは伊東博士が撮影して来られてから、半世紀たってのこ・・・ 和辻哲郎 「麦積山塑像の示唆するもの」
出典:青空文庫