・・・古今の英雄の詩、美人の歌、聖賢の経典、碩儒の大著、人間の貴い脳漿を迸ばらした十万巻の書冊が一片業火に亡びて焦土となったを知らず顔に、渠等はバッカスの祭りの祝酒に酔うが如くに笑い興じていた。 重役の二三人は新聞記者に包囲されていた。自分に・・・ 内田魯庵 「灰燼十万巻」
・・・古聖賢に恥じない徳人だ、」とそれまで沼南に対して抱いた誤解を一掃して、世間尋常政治家には容易に匹を求めがたい沼南の人格を深く感嘆した。 それにしてもYを心から悔悛めさせて、切めては世間並の真人間にしなければ沼南の高誼に対して済まぬから、・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・かくて政権は確実に北条氏の掌中に帰し、天下一人のこれに抗議する者なく、四民もまたこれにならされて疑う者なき有様であった。後世の史家頼山陽のごときは、「北条氏の事我れ之を云ふに忍びず」と筆を投じて憤りを示したほどであったが、当時は順逆乱れ、国・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・大衆に失望して山に帰る聖賢の清く、淋しき諦観が彼にもあったのだ。絶叫し、論争し、折伏する闘いの人日蓮をみて、彼を奥ゆかしき、寂しさと諦めとを知らぬ粗剛の性格と思うならあやまりである。 鎌倉幕府の要路者は日蓮への畏怖と、敬愛の情とをようや・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・安政の大獄をはじめとして、大小各藩において、当路と政見を異にしたがために、斬に処し、もしくは死をたまわった者は、かぞえるにたえぬではないか。ロシア革命運動に関する記録を見よ。過去四十年間に、この運動に参加したため、もしくはその嫌疑のために刑・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・仏国革命の恐怖時代を見よ、政治上の党派を異にすというの故を以て斬罪となれる者、日に幾千人に上れるではない歟、日本幕末の歴史を見よ、安政大獄を始めとして、大小各藩に於て、当路と政見を異にせるが為めに、斬に処し若くば死を賜える者計うるに勝えぬで・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・すると、その労働者が、「馬鹿云え。政権一度われらの手に入らば、あすこはゲー・ペー・ウの本部になるんだ。そのために今から精々立派な、ちっとやそっとで壊れない丈夫なものにして置くんだ!」 と云った。そういう筋のものだった。 小説嫌い・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・棚曝しになった聖賢の伝記、読み捨てられた物語、獄中の日誌、世に忘れられた詩歌もあれば、酒と女と食物との手引草もある。今日までの代の変遷を見せる一種の展覧会、とでも言ったような具合に、あるいは人間の無益な努力、徒に流した涙、滅びて行く名――そ・・・ 島崎藤村 「並木」
・・・乃公の如きは幼少の頃より、もっぱら其の独りを慎んで古聖賢の道を究め、学んで而して時に之を習っても、遠方から福音の訪れ来る気配はさらに無く、毎日毎日、忍び難い侮辱ばかり受けて、大勇猛心を起して郷試に応じても無慙の失敗をするし、この世には鉄面皮・・・ 太宰治 「竹青」
・・・昔の宗教家や聖賢の宣伝にはかなり平和的なのもあったように思われる。しかし今日の「宣伝」という言葉には、まさにそれとは反対な余味があり残味がある。最も平和的なのでも楽隊入りの行列や、旗を立てた自動車や往来人の鼻の先にさしつけられる印刷物や、そ・・・ 寺田寅彦 「神田を散歩して」
出典:青空文庫