・・・自分の考えでは温浴のために血行がよくなり、肉体従って精神の緊張が弛んで声帯の振動も自由になるのが主な原因であるまいかと思う。緊張した時には咳払いをしなければ声が出にくいのは誰も知る通りである。いつかベルリンで見た歌劇で幕があくとタンホイゼル・・・ 寺田寅彦 「電車と風呂」
・・・私の見た義兄は、珍しく透明な、いい頭をもっていて、世態人情の奥の底を見透していた人のように思われる。それでいてほとんど俗世の何事も知らないような飄逸なふうがあった。 郷里の親戚や知人の家へ行けば、今でも春田のかいた四君子や山水の絵の襖や・・・ 寺田寅彦 「亮の追憶」
・・・しかしそうかと言っていわゆる音楽者のほうでは楽器や人間の声帯の発する音以外のものはいっさい取り扱わないのであるから、連句はもちろん音楽者からも顧みられない。 舞踊と連句とも、やはりその音楽的要素においてかなりよく似た点があると思うのであ・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・この二つは世態人情に関する予備知識なしに可能なものであって、それだけ本能的原始的なものと考えられるが、この二つともにともかくも精神ならびに肉体の一時的あるいは持続的の緊張が急に弛緩する際に起こるものと言っていい。そうして子細に考えてみると緊・・・ 寺田寅彦 「笑い」
・・・ 鉄道馬車が廃せられて電車に替えられたのは、たしか明治三十六年である。世態人情の変化は漸く急激となったが、しかし吉原の別天地はなお旧習を保持するだけの余裕があったものと見え、毎夜の張見世はなお廃止せられず、時節が来れば桜や仁和賀の催しも・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・ 大正十二年の秋東京の半を灰にした震災の惨状と、また昭和以降の世態人情とは、わたくしのような東京に生れたものの心に、釈氏のいわゆる諸行無常の感を抱かせるに力のあった事は決して僅少ではない。わたくしは人間の世の未来については何事をも考えた・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・一たび考察をここに回らせば、世態批判の興味の勃然として湧来るを禁じ得ない。是僕をして新聞記者の中傷を顧みず泰然としてカッフェーの卓子に倚らしめた理由の第四である。 僕のしばしば出入したカッフェーには給仕の女が三十人あまり、肩揚のある少女・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・僕はさてこそと、変化の正体を見届けたような心持で、覚えず其顔を見詰めると、お民の方でもじろりと僕の顔を尻目にかけて壁の懸物へと視線をそらせたが、その瞬間僕の目に映じたお民の容貌の冷静なことと、平生から切長の眼尻に剣のあった其の眼の鋭い事とは・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・人間の人間らしい所の写実をするのが自然主義の特徴で、ローマン主義の人間以上自己以上、殆んど望んで得べからざるほどの人物理想を描いたのに対して極めて通常のものをそのまま、そのままという所に重きを置いて世態をありのままに欠点も、弱点も、表裏とも・・・ 夏目漱石 「教育と文芸」
・・・ 先生はこういう風にそれほど故郷を慕う様子もなく、あながち日本を嫌う気色もなく、自分の性格とは容れにくいほどに矛盾な乱雑な空虚にして安っぽいいわゆる新時代の世態が、周囲の過渡層の底からしだいしだいに浮き上って、自分をその中心に陥落せしめ・・・ 夏目漱石 「ケーベル先生」
出典:青空文庫