・・・ゲーテの家には制服を着けた立派な番人が数人いましたが、シラーのほうには猫背の女がただ一人番していました。裏庭の向こう側の窓はもうよその家で、職人が何か細工をしていたようです。シラー町の突き当たりの角は大きな当世ふうのカッフェーで、ガラス窓の・・・ 寺田寅彦 「先生への通信」
・・・三吉たちの熊本印刷工組合とはべつに、一専売局を中心に友愛会支部をつくっていて、弁舌がたっしゃなのと、煙草色の制服のなかで、機械工だけが許されている菜ッ葉色制服のちがいで、女工たちのあいだに人気があった。三吉は縁のはしに腰かけ、手拭で顔をふい・・・ 徳永直 「白い道」
・・・ ここまでは、一人も人に逢わなかったが、板塀の彼方に奉納の幟が立っているのを見て、其方へ行きかけると、路地は忽ち四方に分れていて、背広に中折を冠った男や、金ボタンの制服をきた若い男の姿が、途絶えがちながら、あちこちに動いているのを見た。・・・ 永井荷風 「寺じまの記」
・・・子規はセル、余はフランネルの制服を着て得意に人通りの多い所を歩行いた事を記憶している。その時子規はどこからか夏蜜柑を買うて来て、これを一つ食えと云って余に渡した。余は夏蜜柑の皮を剥いて、一房ごとに裂いては噛み、裂いては噛んで、あてどもなくさ・・・ 夏目漱石 「京に着ける夕」
・・・見るときに触るるときに、黒い制服を着た、金釦の学生の、姿を、私の意識中に現象としてあらわし来ると云うまでに過ぎないのであります。これを外にしてあなた方の存在と云う事実を認めることができようはずがない。すると煎じ詰めたところが私もなければ、あ・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・眼だけを何故私は征服することが出来なかっただろうか。 若し彼女が私の眼を見ようものなら、「この人もやっぱり外の男と同じだわ」と思うに違いないだろう。そうすれば、今の私のヒロイックな、人道的な行為と理性とは、一度に脆く切って落されるだろう・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・ 白い制服、又は私服の警官が四五十人もそこに網を張っていた。 汽車はピタッと止った。 だるい、ものうい、眠い、真夜中のうだるような暑さの中に、それと似てもつかない渦巻が起った。警官が、十数輛の列車に、一時に飛び込んで来た。 ・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・黒の制服を着て雑嚢をさげ、ひどくはしゃいで笑っている。どうしていまごろあんな崖の上などに顔を出したのだ。「先生。下りで行ぐべがな。先生。よし、下りで行ぐぞ。」〔うん。大丈夫。大丈夫だ。〕おりるおりる。がりがりやって来るんだな。ただそ・・・ 宮沢賢治 「台川」
・・・その真正面に、もう一冊の活動写真雑誌をひろげて篤介が制服でいた。午後二時の海辺の部屋の明るさ――外国雑誌の大きいページを翻す音と、弾機のジジジジほぐれる音が折々するだけであった。 陽子の足許の畳の上へ胡坐を掻いて、小学五年生の悌が目醒し・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・又電燈でぼんやり照らされている野天のプラットフォームへ出て、通りかかった国家保安部の制服をきた男に、 ――あなたそれどこでお買いになりました? 私売店をさがしてるんですが―― その男は襟ホックをはずしたまんま、手に二つ巻煙草入れをも・・・ 宮本百合子 「新しきシベリアを横切る」
出典:青空文庫