・・・ 麻利耶観音と称するのは、切支丹宗門禁制時代の天主教徒が、屡聖母麻利耶の代りに礼拝した、多くは白磁の観音像である。が、今田代君が見せてくれたのは、その麻利耶観音の中でも、博物館の陳列室や世間普通の蒐収家のキャビネットにあるようなものでは・・・ 芥川竜之介 「黒衣聖母」
・・・この感動の涙を透して見た、小川町、淡路町、須田町の往来が、いかに美しかったかは問うを待たない。歳暮大売出しの楽隊の音、目まぐるしい仁丹の広告電燈、クリスマスを祝う杉の葉の飾、蜘蛛手に張った万国国旗、飾窓の中のサンタ・クロス、露店に並んだ絵葉・・・ 芥川竜之介 「葱」
・・・の中で、ジル湖上の子供たちが、青と白との衣を着たプロテスタント派の少女を、昔ながらの聖母マリアだと信じて、疑わなかった話を書いている。ひとしく人の心の中に生きていると云う事から云えば、湖上の聖母は、山沢の貉と何の異る所もない。 我々は、・・・ 芥川竜之介 「貉」
・・・銀行から歳暮によこす皮表紙の懐中手帳に、細手の鉛筆に舌の先の湿りをくれては、丹念に何か書きこんでいた。スコッチの旅行服の襟が首から離れるほど胸を落として、一心不乱に考えごとをしながらも、気ぜわしなくこんな注意をするような父だった。 停車・・・ 有島武郎 「親子」
・・・クララはとんぼがえりを打って落ちながら一心不乱に聖母を念じた。 ふと光ったものが眼の前を過ぎて通ったと思った。と、その両肱は棚のようなものに支えられて、膝がしらも堅い足場を得ていた。クララは改悛者のように啜泣きながら、棚らしいものの上に・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・ 彼は家を出て遠い展望のきく場所を捜した。歳暮の町には餅搗きの音が起こっていた。花屋の前には梅と福寿草をあしらった植木鉢が並んでいた。そんな風俗画は、町がどこをどう帰っていいかわからなくなりはじめるにつれて、だんだん美しくなった。自分の・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・これは実に「聖母マリア」の原型だ。聖母の中の聖母、ファン・エックの聖母といえども、この母猿の本能的感情より発祥しなくてはぬけがらの聖母である。その哺乳、その愛撫、その敵からの保護の心づかい、私は見ていて涙ぐましくさえなる。向ヶ丘遊園地で見た・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・せ俊雄が受けたる酒盃を小春に注がせてお睦まじいとおくびより易い世辞この手とこの手とこう合わせて相生の松ソレと突きやったる出雲殿の代理心得、間、髪を容れざる働きに俊雄君閣下初めて天に昇るを得て小春がその歳暮裾曳く弘め、用度をここに仰ぎたてまつ・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・ちょうど歳暮のことで、内儀「旦那え/\」七「えゝ」内儀「貴方には困りますね」七「何ぞというとお前は困るとお云いだが何が困ります」内儀「何が困るたって、あなた此様に貧乏になりきりまして、実に世間体も恥かしい事で、斯様な裏長・・・ 著:三遊亭円朝 校訂:鈴木行三 「梅若七兵衞」
・・・煤けた壁のところには、歳暮の景物に町の商家で出す暦附の板絵が去年のやその前の年のまで、子供の眼を悦ばせるために貼附けて置いてある。「でも、貴方だって、小諸言葉が知らずに口から出るようですよ。人と話をして被入っしゃるところを側から聞いてま・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
出典:青空文庫